2011年の末に日テレ系の番組制作者から電話がありました。私は、以前に岡田嘉子の親類の黒岩健而さんの思い出を聞き書きでまとめた「岡田嘉子との六十年」という本を出版したことがあります。写真類は、黒岩家秘蔵の珍しいものを多く載せました。
その写真をテレビで使いたいのだけど、現在は版権問題などいろいろとあるので、岡田嘉子の遺族に許可をいただけないかという依頼です。それを聞いて私は、はた、と困りました。岡田嘉子さんには一人息子がおられ、なにしろ岡田嘉子の生前からホームレスをやっているなどと週刊誌にスクープされていたくらいですから、親類筋の方たちとの連絡もスムーズではありません。
本の出版前に、本の語り手から町田の都営住宅にいるということを聞き、手がかりゼロで都営住宅に向かったことがあります。そして都営住宅に入ると道ゆく人たちに片っぱしから「岡田嘉子の息子さんは?」と聞いて歩きました。すると不思議ですね。皆さん異口同音に「あ~息子さんね」と教えてくれるのです。岡田嘉子は、生前息子の存在を否定していました。それなのに都営住宅中が息子さんを知っているといった印象なのです。その落差にがく然としました。そしてたずねついたのが、奥様の松下さん。
岡田嘉子の息子さんは、少し前に家を出てそれっきり連絡がないとのことです。齢(よわい)もとうに70才を越えて、どこにどうしておられるのやら。共通認識として頭をよぎったのが「またホームレス?」ということでした。
それからおよそ10年、ふたたびとぼしい記憶をたよりに都営住宅でまた片っぱしから聞きはじめました。ところが反応が以前と違うのです。「さあ」「始めて聞いた」といった答えばかりで、手応えなし。あせりが生じてきました。
その時冬の陽を浴びてそびえる昭和の色にくすんだ湯屋の煙突が目に入りました。かつてお風呂やさんで細かく教えていただいたことを思い出しました。そこで風呂屋の奥様に細かい住所を教えていただきました。「そう言えば、最近見かけないね」という気になる言葉をかけられながら、手がかりがようやくつかめました。
近辺に行ってもだれも存じないのです。ところが親切な方たちがたくさんいて、松下さんと親しかった人を電話をしてまで探し当ててくれたのです。わかったことは、奥様は、私がたずねた1、2年後には亡くなったこと。それも公けの福祉によるお葬儀で、そのことから一人娘さんとも絶縁状態だったことがわかりました。
友人だった人は、「おくさん怖かったもんね」「息子さんはいい人だったよ」と言っていました。とにもかくにもこれ以上の調査は無理と、ここでストップ。ご親切な町田木曽住宅の皆さまありがとうございました。