良いカウンセリングとは

1、傾聴に期待される効果は?

傾聴による効果にはどのようなものがあるのでしょうか?カウンセラーによる傾聴は、友人や家族などに話したときの反応と、異なることがわかっていただけたらうれしいのですが…。

傾聴には次のような効果が期待できます。

  1. 傾聴によってクライアントさんは、自分が受け止められているという感覚を持つことができます。「自分が悪い」「反省してもっとがんばらなければ」と思い、また言われ続けてきた方は、自分が受容されているという感覚を体験する必要があるでしょう。
  2. ストレスがとれて元気になります。
  3. 自信がわいてきます。
  4. 視野が広がってきます。
  5. 以前とは違う見方や自分が選ばなかった他の選択肢などが自然に頭に浮かんでくることがあります。
  6. クライアントさんは、脈絡なく話しているようでも、話すことでしぜんに考えを整理できていることがあります。
  7. ぽっかりと解決法が頭に浮かぶことがあります。
  8. 自分の本心に気づきます。
  9. ストレッサ―(ストレスのもと)のサイズが小さくなることがあります。
  10. 気持ちが楽になります。
  11. 「私にはこういうところがある」「私はこういうことが苦手だから」などといった自分にたいする客観性が芽生えてきます。
  12. 自分の思い込みの修正ができることがあります。
  13. いつのまにか回復してカウンセラーをあ然とさせることがあります。
  14. 吐き出しきってすっきりしただけで自分の力が高まっていることを感じ、問題解決へ向かっていけるようになることがあります。
  15. カウンセラーのアドバイスや気づきをうながす言葉を受け止めやすい状態になります。これは、自分を守るために心を固く閉じていたのが、心が開いてアドバイスを受け入れやすくなっている状態といえるでしょう。
  16. 認知行動療法を行うときに、傾聴による吐き出しをしておくと、認知行動療法を実践しやすくなります。

以上が、カウンセラーが実感している傾聴の効果です。ときにはカウンセリング開始直後から効き目があらわれてくる場合もあります。人間には、良い方向へと向かおうとする自然な力があると、クライアント中心療法を編み出したロジャーズは主張しました。まさにそのような状態になります。

問題の7~8割は、共感的に受け止められている雰囲気の中で、語りつくし、もうこれは自分にとって問題ではないと感じられるようであれば自分の力で解決できます。

カウンセリングは、胸のつかえを取る作業といえます。胸のつかえの中には、かなり古い胸のつかえが混じっていることがあるものです。胸のつかえと自覚できていない胸のつかえがあるし、過去の親子関係のひっかかりなども胸のつかえになりやすいものです。

 

2、心がけ、クライアントのご意見

当サービスのカウンセラー高橋三恵子が心がけていることや、カウンセラーにたいする感想には次のようなものがあります

  1. クライアントさんの長所に気づいたら、その時点でどんどんフィードバックをしていきます。自信をなくしている方や不安にとらわれている方、自己評価が低下している方への自然な対処として、実行してきたのですが、理にかなったやり方であることがわかりました。解決志向ブリーフセラピー(SFA)という新しいセラピーでは、コンプリメント(称賛)という手法を取り入れています。そのコンプリメントをカウンセラーの高橋三恵子は、はからずも実行していたようなのです。
  2. カウンセラーは応答だけが受容的なだけでなく、全身が受容的でなければならないと思っています。親しい人たちにすら話しづらいことを心を開いて話そうと決意して話してくださるのですから、安心して話せるその場の雰囲気が大切だと思っています。それから評価とは関係のない雰囲気も必要不可欠です。これは、否定的にとらえたり、無言の圧力でクライアントさんの方向性をしばるのではなく、善悪の判断をしないでありのままに受け止める感覚のことです。
  3. あなたはOKですという無言のサイン。これは不安をかかえているクライアントさんへ「だいじょうぶですよ」と、無意識のメッセージを送り続けることといってよいでしょう。
  4. 高橋三恵子は、話しやすいという印象を持っていただけているようです。カウンセラーがリラックスしていることがお話ししているあいだに伝わるようなのです。カウンセラー自身にはわからないのですが、たびたびそのように言われます。あるいは、お母さんのようといわれることもあります。
  5. クライアントさんの話が「実は」「実は」のオンパレードになることがあります。すべてを話してしまいたいという、意気込みの現れで頼もしく思っています。戯曲によくこういう展開ってありますよね。眼の前にくり広げられている景色がパッパッと変わりさらに背後に隠れていたものが現れてくるような感じです。壮大な家族の絵模様が展開されてあ然とすることがあります。「このカウンセラーには何でも話してしまいたい」と感じてもらえることが大切だと思っています。

クライアントさんには、リラックスした人間関係を体験していただきたいと思います。また、暗黙の指示を受けたり評価されることがなく、ありのままでいてよい安全な人間関係も体験していただけたならすてきだと思います。

3、傾聴にともなう予想以上の治癒例

傾聴をしているあいだに、いつのまにか症状が消えていたという例に次のようなものがあります。以下の例などはカウンセラーとしても予想外なので、驚きました。

  • 書痙がなおったーー書痙(文字を書くときに緊張で手がふるえる)が消えた。書痙を治すためにカウンセリングをはじめる方はいません。他のことを話しているうちにクライアントさんが、「あれっ?しかし、まてよ。(文字を書いてみる)やっぱりなおっている。」そんな感じで手のふるえが止まりました。しかもたった一度のカウンセリングで、回復したのです。数例ありました。こちらも驚きました。書痙は緊張との関連性が強いものです。おそらく緊張がとれたのでしょう。
  • 耳の状態がよくなった。――耳は非常にストレスと関係が強い器官です。いやなことを聞かなくてすむように耳を聞こえなくしているという説があります。耳の状態がすっかり回復するというわけではありませんが、気がついたらクライアントさんの耳の状態がよくなったという経験がしばしばあります。
  • パニック発作がカウンセリング開始以来、一度もおきなかった。来談する方のなかには複数の症状のかかえている方がいます。主訴を訴えているうちに、6か月くらいたちそのあいだ一度も発作が起きなかったことに気づいた例です。これもリラックスしてきたことと関連があるのでしょう。
  • 薬の量が減ったーークリニックに通っている方は、通院を止めないで引き続きかよっていただきます。薬の量が減ったといっても、傾聴の効果とは断定できないでしょう。しかし多くの場合、主治医の判断で薬の量は減っていきます。薬の量が減ることで、少し症状がでることがありますが、あらかじめそのことを知っておくことで、不安にさらされずにすみます。
  • 首をしめつけるような感覚があったけれど、話すことでその感覚が消えた。――これはしばしばあることです。

以上の例は、必ずおきるものではなく、起きない場合もあります。

4、傾聴のつぎ、または平行して行うこと

  1. カウンセラーとクライアントさんとで、降ろせそうな荷物や、降ろすと楽になれそうな荷物を話し合いながら仕分けします。
  2. 認知行動療法と傾聴–認知行動療法で対処する症状でも、傾聴をしてからのほうが、クライアントさんが認知行動療法を実践しやすいようです。
  3. このごろでは子どもを苦しめる不適切な養育態度の親を毒親などと表現する過激な言い方があるようです。このような関係性の中で育った方には、良薬をほどこすのもよいけれど、初期にはまず過去の毒消し(=カウンセリングによる吐き出し)を行なったほうが効果があがるようです。毒親による毒が体内に貯留していることがあるからです。

5、認知行動療法にはどんなものがあるの?

認知行動療法というのは、大まかにいうと自分の思考パターンや行動パターンの癖に気づき、それを意図的に変容させていく方法です。あるいは、現実なのかたんなる思い込みにすぎないのかをカウンセラーといっしょに仕分けしていきます。たんなる思い込みであれば、それを納得していただきます。

しかし次のような場合があります。そもそも感情や思考というのは、自然に湧きあがってくるものです。

たとえば、ネガティブ思考ばかり選んでしまっている人は、ポジティブに考える習慣を持っていません。そこで自分の陥りやすい思考法と、その反対の思考にはどんなものがあるのか書き出してみます。ネガティブ思考に流れやすい人には、長い歴史と習慣があります。瞬間的にわいてくる感情の修正は、むずかしいことがあります。その時に十分な傾聴による吐き出しを行っておくと、感情の修正が実行しやすいといえます。傾聴をしっかり行なってから、認知行動療法を行なうと実践しやすくなります。

またお母さんのことや、お母さんとの関係性について話していただくと、回復のきっかけになることがあります。あるいは、はは~ンと腑に落ちることも。

認知行動療法や次のような療法を、それぞれ実施するのにふさわしい段階で行います。

  • 論理療法―認知行動療法の一種。大まかにいうと、自分の思いこみ的な思考に気づき、修正する。
  • ソーシャルスキルトレーニングー本来はグループワークだが、カウンセラーと1対1で効率的に実践する。
  • アサーショントレーニングー日本語では主張訓練法。ロールプレイの一種。
  • 臨床動作法―本来は障碍者などに向けた動作法を改善したもの。スキンシップ不足をおぎなうという説も。一般的な健康増進にもよい。
  • 内観療法―日本人の開発した療法。カウンセリングの初期には行わない。中期から後期にかけて実施するのに適した療法。
  • 描画―テーマに沿った絵を描く。気づきは、カウンセラーが指摘するまでもなく、クライアントさん自身で得ることができる。
  • ロールレタリングー効果のある方には、劇的に効く場合も。
  • 粘度造形―指先のふわふわ感がよいという方もいる。
  • NLP―軽い催眠療法的な面が。
  • SFA―解決志向セラピー。汎用性の高い技術が多いので、技術と精神をセラピー全体に活かす。
  • ジェノグラムー家族図のこと。現在と過去三世代にわたる家族図を作成。
  • 家族療法―家族関係に変化をおよぼす療法。引きこもりなどに応用。引きこもり本人が参加しなくても可能。
  • リラクゼーションーそのまま自律訓練法に移行可能。
  • 呼吸法―腹式呼吸の練習をします。

6、認知行動療法と傾聴は、西洋医学と東洋医学にたとえられる

認知の変容を目ざす心理療法や対人スキルトレーニングなどは、回復と車の両輪をなしているという側面があります。回復していないとスキルを実践しにくいし、回復することによってスキルが身につきやすくなります。

認知行動療法のカウンセラーの側から見ると、傾聴の効果は、あいまいで測ることができない、比較対照群との効果の比較ができない、などの理由のためにあやふやな療法と見られがちですが、傾聴の効果は、予測以上の回復をもたらすことがあるので、あなどることはできません。

傾聴は、治療のターゲットを定めた療法とは異なる心の癒やしの方法であり、全体的な心身の回復に有効と考えられます。

つまり認知行動療法は対処療法的であり、傾聴が根本療法とでも言ったらよいのでしょうか。認知行動療法は比較的少ない回数で終結になります。これに対して傾聴は、当面の問題だけでなくいろいろな問題について語ることが多いので、じわっと効いてくるといったらよいのでしょうか。

傾聴と認知行動療法の違いについてたとえて言ってみるならば、東洋医学と西洋医学の違いに似ていると言えるのかもしれません。東洋医学のなかには、ターゲットをしぼった治療もありますが、全体の体質改善をめざすものもあります。それにたいして西洋医学は、症状を消すことが当面の治療目標であって、その人の体が潜在的に抱え、姿を変えた別な症状としてあらわれるかもしれない問題点は、視野に入れません。

症状とは一生のあいだにいろいろな場面で姿を変えて生じやすいものです。アルコール依存症とうつは関係性が深い疾患ですし、パニック障害とうつも同様です。パニック障害に抗うつ薬が処方されることがあります。ですから、どの症状を消したいとターゲットをしぼるのもよいのですが、心身全体に働きかけると、より根本治癒に近づけるというわけです。それが傾聴、あるいはロジャーズのクライアント中心療法といえます。

傾聴はある程度時間がかかることがありますが根本治療なので、根っこの原因のところまで届いていることが多いものです。行動療法は当面の症状を消すので、効果が測(はか)りやすいといえます。

7、クライアントさんは、カウンセラーに似てくる?

「クライアントさんはカウンセラーに似てくる」このように言われることがあります。たしかにそうした側面はあります。しかし、これはカウンセリングの副次的な作用であって、カウンセラーに似ることがカウンセリングの目的ではありません。

クライアントさんが、カウンセラーに似てきているとしたら、おおよそ次のようなことが推測されます。おそらくそのカウンセリングはかなり長いこと行なわれているということと、そこでは良いカウンセリングが実践されているだろうということです。

8、人は好きな人のことを無意識にまねる

人は、好きな人やあこがれている人のいろいろな部分を無意識のうちにまねします。心理学で観察学習、モデリング、取り込みなどといわれるものです。嫌いな人のことはまねしません。

よく少女の親友同士が同じボキャブラリーと同じメイク、同じファッション、同じしぐさをしていて見分けがつかないことがあります。基本的な構造はこれらの少女たちと違いがありません。

好きなればこそモデリング効果が生じてくるのです。クライアントさんがカウンセラーに似てきているカウンセリングの現場があるとしたら、そこではおそらくクライアントさんは、受容されているという実感を持ち、自己の変容後のモデルを無意識のうちにカウンセラーに投影しているのでしょう。これは決して悪いことではないのです。

9、変化が急速にやってくる場合があります

カウンセリングの初期に変化が急速にやってくる場合があります。クライアントさんの変化を見るのはカウンセラーにとって何よりの楽しみです。

ところが急速に変容していって、相当部分は変容したなというところまでたどりつくと、あれっというほど動かなくなっていきます。心の芯の固いところにコツンと突き当たったとでも言いましょうか。過去のつらい状況に対して複雑な形で適応してきたなどの理由によることもあります。

あるいは、いい感じでカウンセリングがすすんでいき、クライアントさんがニコニコとして気持ちが軽くなったと言い、カウンセラーもうれしい報告に喜んでいるような時です。こんな時に強烈なゆり戻しのような現象が起きて、クライアントさんもカウンセラーも青ざめることがあります。まるで本心が変わりたくないんだとあざ笑うか復讐しているような感じがします。心の上澄み部分だけが変化していたのでしょうか。心の深いところまで染み込んでいくのには、時間もカウンセリングの作業もそうとうかかるということでしょうね。いずれにしてもこれは長いレンジから見たらさざ波のようなものです。

むしろそれからがカウンセリングの本番といえます。本来の性格はさぞかし明るくて強いのだろうという印象のある方のほうが、過去のつらい状況に複雑な形で適応しがちだといえます。

こうした回復のプロセスとしてのグレイゾーンに突入すると、本来の性格なのか生育環境へ過剰適応した結果なのかわかりにくくなることがあります。

クライアントさんご自身の自覚としては、もうすっかり回復したと感じておられる状態でも、まだ要注意という場合があります。クライアントさんの中には、自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまいがちな方がいて、「おかげで回復した」とおっしゃり、カウンセラーは「私に合わせて言っているということはありませんか?」と確かめると確信がありげに「そういうことはありません」というお答えが返ってきます。

そこでまったく角度の異なる別の療法でアプローチしてみると、再び涙の洪水なんていうことがあります。クライアントさん自身が自分の思わぬ反応にびっくりなさることがあります。

10、アダルトチャイルドの方の場合

アダルトチャイルド(アダルトチルドレンとも言う)の心の傾向には次のようなものがあります。アダルトチャイルドの意味は、本来は、アルコール依存症の親の家庭で育った子供が、子供としての保護とケアを受けないで育った場合に生じやすい心の傾向を意味します。

多くの専門家は、アルコール依存症の親のいる家庭と限定的な意味にとらえますが、子供としての保護とケアを受けないで育つのは、アルコール依存症の親のもとだけとはかぎりません。お母さんがグチを子供にたれ流しながら育てると、子供は心配を心に刻みつけ、似たような家庭環境を再現しそうな伴侶を無意識のうちに求めることがあります。

子供は、保護されて安心して育つ必要があります。厳しい環境に育つことを、よいことのようにとらえる方がいると思いますが、それはアタッチメント(養育者との心の絆)が健全に形成されている場合です。

アダルトチャイルドは、きわめて汎用性の高い概念で、こうした家庭で育った人たちには、共通する心の傾向があります。その心の傾向とは次のようなものです。

  1. 「ノー」と言えない。
  2. 自分が幸せになれるかではなく、自分が役に立ちそうな異性にひかれる。
  3. 子供との適切な距離感がとれない。
  4. 育児がつらい。
  5. 親のような人に惹かれ、近づいてはひどい目にあう。
  6. 怒りの感情を持っている。
  7. さびしい。
  8. 各種依存症がある。
  9. ささいなことでもイヤなことが心に突き刺さり、それがなかなか薄まっていかない。
  10. 自分に自信がない。
  11. 過食嘔吐がある。
  12. よく考えると人をコントロールしている。
  13. 対人関係で、人との距離感がわからない。
  14. 並みはずれて若く見える。
  15. インナーチャイルドがいる。
  16. 自己評価が低い。
  17. 杓子定規な考え方をしがちである。
  18. 体も心も固まっている。
  19. 恋人やパートナーなどの親密関係において怒りがわく。
  20. 共依存である。
  21. 睡眠の質が悪い。
  22. 決められない。
  23. 黒白思考である。
  24. 葛藤が生じやすい
  25. お母さんが喜ぶとうれしい
  26. 第六感が強い。心霊体験がよくある
  27. 幽霊の存在を信じている
  28. ストレスが強い
  29. ストレスがかかった状態で粘るのが苦手

以上の傾向は、多くの場合精神疾患ではなく、たんなる心の傾向です。すべての項目が該当するのではなく、一つでも当てはまるならばカウンセリングで対応ができ、生きづらさが解消できる可能性があります。

25の「お母さんが喜ぶとうれしい」は、当りまえなのでは?と思われるかもしれません。しかし、自分が何かをするときに動機が自分自身のためではなく、お母さんを喜ばせたいというのならば、まったく健康というわけではありません。

アダルトチャイルドということを自覚されている方は、時には人生がうまくいかないことや、ストレスがわいてくるたびに、アダルトチャイルドであるためだと解釈してしまう方がいます。すべてをアダルトチャイルドのせいにしてしまわないようにしましょう。

一般的に言って人生には、喜びもあるけれど、ストレスもつきものなのです。

11、ちょっと見てわかる特色のあるアダルトチャイルド

次のような方は、意外と思われるかもしれませんが、機能不全家族から生まれます。

1      女性で、甘えた声を出し、体をくねらせる。異性に受けは悪くないが、同性には反発されやすい。

⇒ 甘えた声を出していることから、よほど甘やかされて育ったと思われるかもしれないが、その反対。幼児期に甘えが足りなかったことによる。親から幼くてかわいい女の子とみられたい深層心理が存在。

2      男性で、目をのぞきこんでにこりと微笑むので、女性は自分に気があるのかしらと、かん違いしてしまう。浅いかかわりの異性でも、魅了されてしまう。トークも魅力的。

⇒愛情不足の環境で育ったことからくる無意識のサバイバル戦術を身につけている。

 

1のタイプの女性も2のタイプの男性も、本来強い気質を持ち、魅力を発揮しながら人生をそつなくこなしていることが多いようです。

 

12、ノーと言えない方

「ノーと言えない」という性格は、問題のある傾向というよりも、周囲の方たちはおだやかな良い人と思っているかもしれません。しかし、ご本人にとっては好きでノーと言わないのではなく、ノーと言えないために苦しい思いをすることが多いものです。

ノーと言えない方は、ノンバーバル(非言語的)表現で、拒否感や怒っているという感情をあらわすことも苦手なようです。ノンバーバル表現とは、言葉ではなく体で表す言語つまり身体言語のことです。ムッとしたり、ツンツン、プリプリ、という様子を全身で表現するのです。

ノーという言葉を発さなくても、これで十分に感情は伝わります。これは、言葉にするエネルギーのいらないじつに便利にツールなのですが、ノーと言えない人は、拒否的な身体言語も口に出す言葉と同じくらいのレベルで表わしにくいようです。

13、いつかはノーと言える

アダルトチャイルド的な方は、そもそも心の健康が崩れやすい傾向にあるのですが、本能がイヤがっているのに「ノー」という反応をして自分を守ることができにくい傾向にあります。基本的に要注意なのです。「ノー」と言えなかったために、具体的な不利益がなかった場合でも、怒りがたまることがあります。ふだんから怒りをためこまないようにしておくと良いでしょう。そのためには、ハードルの低い場面で「ノー」と言う練習を積んでおくとよいと思われます。そうすればいざという時にも不本意なイエスを言わなくてすむでしょう。

蛇足(だそく)ですが、「ノー」と言えない不利益をよくさとった方が、生まれてはじめて「ノー」という言葉を発する時にとてつもなく大上段に「いやっ」と発してしまい、周囲をびっくりさせることがあります。

世間一般では、面と向かってはっきりとお断りしたほうがよい場合でも「いやです」というよりは拒絶を少し弱めた表現である「お断りしたほうがよいと思います」「できかねます」「無理だと思います」などと多少表現をやわらげるのが一般的です。

さらにソツなくノーを表現する場合は、たとえば何かを誘われたときに、「いつですか?そうですか、その日はあいにく」「う~ん。考えておきます」「びみょう~」などと言ったりします。こういう言葉が発せられると受け手が大人であれば「ああ、いやなんだなあ」と察するわけです。

14、やわらかアサーション

以上のような表現はモヤモヤとしてすっきりしないから苦手と感じる方がいるかもしれません。カウンセリングに来談される方の中には、黒白をはっきりさせるとすっきりするので、グレイゾーン的な表現は何かなじまない感じがするという方がいらっしゃいます。しかし、世の中にはこうしたあいまいで微妙なイエス、ノーがあふれているのです。グレイゾーンの海の中をかきわけて生きていくのが大人の知恵の力というものです。

断固たる拒絶は時には身を守りますが、ことによったら相手を傷つけます。当カウンセリングサービスでは、具体的な場面を想定しながら「ノー」という練習をしていきます。手始めにクライアントさんが苦手な場面を設定して想定問答を行なうだけで、現実には「ノー」という言葉を結果として発することができなくとも、言えなかった場合よりも受けるストレスは少ないと言われています。

これは、いわば助走のようなもの。「ノー」ということの大切さに気づき、今は言うことができなくてもいつかは言えるようになりたいと思っている方は、じきにじっさいに「ノー」という言葉を口にすることができるようになっています。

相手の意に反してお断りすることができるようになったら、さらに状況に応じてより洗練された表現へとステップアップしていくトレーニングも行なったほうがよいでしょう。カウンセリングによって回復するだけでなく、おおいに人間として成長していただければと考えています。

アダルトチャイルドというのは、非常に汎用性に富んだ鍵(かぎ)となる概念で、この概念を受け入れることができると比較的短い期間で根本解決に到達することができる場合があります。

15、対処スキルトレーニングの効果

クライアントさんがかなり回復してきたところで、上述のような問題解決のための対処スキルのトレーニングを併用していくと効果があがります。つらい思いをした場面を思い出していただき、適切な対処法をカウンセラーとともに探していきます。

対処スキルトレーニングには、アサーション・トレーニングやSST(ソーシャル・スキル・トレーニング)などがあります。アサーション・トレーニングは、おもに自分の感情を相手に語る練習をします。

多くの方がふだんの生活ではほとんど感情をわざわざ言わないで暮らしています。言わなくたってわかるだろうと思っておられるようです。親密な相手であれば、やっつけて喜ぶ方もいます。全般的には相手の感情をほとんど気にしていないようです。しかし気にしないでいるのは、傷つけたほうの人だけです。傷つけられたほうは、感情をためこんでいることがあります。そして違うテーマで怒ったりします。

怒っている人とはじつは傷ついた人であることが多いものです。しかも怒りは無闇(むやみ)に投影しやすいものです。よくだれかがぷりぷりと怒っていると今日は近づかないほうがいいと、まわりの人が言ったりしますね。怒りがわいた原因と、怒りをぶつける相手は異なることが多い現象を如実(にょじつ)にあらわしている表現だと思います。怒りをぶつける相手は、たまたまそばにいた人とかぶつけやすい人であることが多いでしょう。社長には怒りをぶつけにくいけれど、部下にはぶつけやすいですね。八つ当たりというやつです。

怒っている人とは、じつは傷ついた人であることが多いと書きました。ささいなことで切れる人は、すでに他のことで怒っており、並々と蓄積された怒りがあるところへもってきて、たまたま引きがねになるできごとがあったのにすぎないということが多いようです。

電車の中などで、行儀の悪い若者などを満腔(まんこう)の怒りでもって注意する中年男性の怒りの激しさが話題になったことがあります。これも怒りのもとは過去の傷つき体験なのでしょう。

爆発的に怒りを放出している人への対処法は別にして、アサーション・トレーニングとは、傷つけられたらその場で傷ついた感情を表現する練習をする行動療法です。よく「感情で言わないで、感情を言う」といいます。これを実戦形式でトレーニングしていきます。

アサーション・トレーニングやSSTはグループで行なう行動療法ですが、個人カウンセリングの枠内でもOKです。これらのトレーニングは一種のロールプレイなのですが、集団の場合だと実践練習するチャンスがこないことがありますが、個人カウンセリングの枠内であれば、よりきめ細かにさまざまなロールプレイを行なうことができます。

16、感情を伝える

問題のあるシーンに遭遇(そうぐう)したとして、そのときに感情を述べる返し方ができるようになると、以前だったら何か傷つけられることを言われると、固まってしまいその言葉が深く刺さってなかなか抜けていかないような方でも、傷つきにくくなります。適切に返すとは、言葉の矢を同じようなするどい矢で返すものではありません。そういう方法ではなく、「ああ、なんか傷ついたなあ~」「へんな言い方」などのような言い方で相手の方が妙な表現をしていることを知らせる方法です。適切に返すことで、傷つきにくくなるだけでなく、それがかえってご自分の自信につながっていくことが多いようです。

不本意なことを言われたときに固まってしまって傷つきがちな方は、ノンバーバルな表現つまり身体言語であらわすことも苦手なようです。ノンバーバルな表現とは、むっつりしたり、ぷりぷりしたり、つまり私は気を悪くしましたよ、というメッセージを送ることです。

そうするとイヤなことを言った相手は、あれッなんか怒っているなとか、気を悪くしているな、なんだろうとか頭をめぐらせます。そんなこと気にかけない人もたまにはいますが…。

ともかく身体言語で気を悪くしましたという表現ができない人は、できるようにしておいたほうがよいのです。

当サービスでは、アサーションをよりスキルアップさせた方法を実践形式でトレーニングしていきます。かなり回復した状態であれば、今日はできなくてもじきに実行することができるようになります。その中心的な課題は、柔らかな拒絶と相手に働きかける方法です。

17、人から入る

対人スキルトレーニングは、カウンセリングを必要としている方たちだけでなく、一般的なシーンでも対人スキル向上のためには有効なことといえます。事実、多くのビジネス書や自己啓発書は、心理学を土台にして効果的な対人対処法を開発しています。

こうした本を開いてみると効果のありそうな方法がどっさり。すべてを実行できそうにありません。じっさいには、本のとおりにたとえ一つでも効果的に教えを実行することはむずかしいのかもしれません。

心理学やカウンセリングの現場で次のようなことが言われることがあります。「人から入る」という言葉です。人から入るというひとつの例は、たとえば次のようなものです。クライアントさんとカウンセラーで相談しながら問題となった場面の対処法を思いつくまま書き出していきます。そのなかから実用にかなったものや実行しやすそうなものをとりあげて、クライアントさんがじっさいに演じてみます。たいてい良かった点と改善点が指摘されるでしょう。そしてさらに改善した方法でもう一度ロールプレイをしてみるのです。

このようにじっさいに体験し、実行してみることが重要と思われます。頭で考えるのではなく、体が覚えていくからです。一度でも体験してみると現実の場面での実行がはるかに容易になります。「人から入る」ということをぜひ一度味わっていただければと思います。

カウンセラーと相談しながらやってみるもう一つの利点は、本などには百科事典のように目白押しにさまざまな対処法が載っています。どれがクライアントさんが現にかかえている問題にたいして有効なのかということについては、多少の知識と経験を持っているカウンセラーが提案することができるでしょう。そしてじっさいに体験をしてみて一つのことができるようになると、ほかのことは、本を読むだけでコツがつかめていくものです。

対処スキルトレーニングのよいところは、いやな言葉を言われて以前だったらうつ的になっているような場合でも、自分の感情を述べるなど適切に言葉を返すことができると、うつになるどころか大いなる自信につながっていくことです。

以前のクライアントさんだったら、うつになっていたかもしれないのに、うつどころか自信回復のジャンプボードにすらできてしまうのです。カウンセラーの高橋三恵子自身、クライアントさんから学ばせていただくことがたびたびあります。

18、気づきだけで解除反応が起きることもありますが…

アサーション・トレーニングにしろ、SST(ソーシャルスキル・トレーニング)にしろ、ある程度カウンセリングによる吐き出しを行なってからのほうが、より高い効果が得られることが多いようです。

認知行動療法を実施するカウンセラーのなかには、傾聴によるカウンリングを軽んじる方がいます。しかし私の体験では、認知行動療法全般にわたってある程度ロジャーズ式の傾聴によるカウンセリングを実施しておくほうが、クライアントさんは認知行動療法を実践に移しやすいようです。それがなぜなのか考えてみたいと思います。

心理療法の効果のひとつに気づきがあります。原因をははぁ~んと自覚するだけで、症状がじっさいに消えることがあります。私はこれを現実に体験しました。私は、ある時不整脈だと診断されました。じつは家族内に変化があり、それは予定されていたことなので、その事態には耐えなければならないことを承知しているつもりでした。

思い起こせばそのころから体がなんとなくふらふらとしていたような気がします。以前から定期的に献血をしていたのですが、そのころ献血をしようとして不整脈でひっかかりました。初めてのことでした。医者に行くのがこわいので、とりあえずインターネットをざあっと読み始めました。

そうすると、不整脈がストレスからくることがあるという書き込みを発見しました。心身症の項目には、心臓や血管系の疾患にならんで不整脈とはっきり書かれているではありませんか。私は家族内の変化と自分の不整脈との因果関係に気がつきました。

それでどのような変化があったと思いますか?この瞬間に私の不整脈は消え失せて、体に力が入りしゃきっとしたのです。脈をとってみると嘘のように鼓動が、力強く淡々と刻まれていました。これを解除反応とか除反応と言います。気づきだけで症状が消える典型的な例です。

このように気づきだけで、症状が劇的に消失する場合がありますが、そうでない場合もあります。気づきのほかに、吐き出し効果が必要な場合があります。吐き出すとは、ロジャーズの来談者中心療法によって、クライアントさんの思いのたけをしぜんな流れの中で話してもらうことです。

吐き出すことによって、たとえばクライアントさんの印象としてはそれまで固まっていたのが、柔軟になったという印象を受けます。認知行動療法なども、クライアントさんご本人としてもずいぶん実行しやすくなるようです。当カウンセリングサービスでは、一対一で、ロールプレイなどを行ないますが、傾聴によるカウンセリングを行なう前は、ロールプレイを「できません」と言っていた方が、ロジャーズ式のカウンセリングで吐き出しを行なうことで、ロールプレイにおいて自分の考えた言葉をいうことができることがしばしばあります。こうなるとじっさいの場で必ず言えるようになるのです。

19、自己評価の不思議

自己評価というのは不思議なもので、自己評価は低い時だけに存在感が浮かび上がってくるのです。自己評価が高い人というのは、べつにうぬぼれやでも妄想狂でもありません。むしろ自己評価って何?という感じで存在自体がわからなくなっています。

自己評価が高い人とは、自然体であるがままの自分を受け入れており、そこにズレが生じていない状態といえるでしょう。ストレスを感じやすくなっている人は、自己評価が低くなっていることがあります。

じつを言うと、意外に感じられるかもしれませんが、これはマズローの欲求階層説のうちの承認の欲求が満たされていない状態にあるといえます。マズローの欲求階層説とは、人間の欲求を必要度に応じて五段階に分けてあり、もっとも基本的な欲求が生理的欲求、つまり食べる、寝るなどの生存のための必要最低限の欲求です。この欲求が満たされると、一つ上位のレベルである安全の欲求実現に向けて努力するというものです。次の上位の欲求が、所属と愛の欲求、さらなる上位の欲求が承認の欲求というわけです。

20、承認の欲求

マズローの欲求階層説で最も高いレベルの欲求が、自己実現の欲求です。この欲求実現に向けて努力している状態というのは、さまざまな必要な欲求が満たされたうえで、最終的には創造的活動、生きがいや趣味などに生き生きと楽しみながら打ち込む段階になります。もっとも最近は、下位の欲求が十分に満たされていなくても、ある程度満たされればより上位の欲求実現に向けて始動していくといわれています。

ちなみに摂食障害の方も自信のない自分を強烈に自覚していることが多いものです。自分に自信のない方はおおぜいいらっしゃいますが、摂食障害の方はばくぜんとした自信のなさではなく、そのことをかなり強く感じ、苦しんでおられるなという印象があります。

やせると自信が湧いてくるそうです。太っているとお友だちにも会いたくないと訴えておられたりします。かなり能力も高く、意志も強くこれまでいろいろなことを実現することができてきたがんばりやさんだなと感じることが多いものです。

いずれにしてもクライアントさんたちには、ぜひ自己実現に向かってのんびりとあるいは無我夢中で精進(しょうじん)できる状態になってほしいものです。当カウンセリングサービスでは自己実現の欲求に向かってまい進できる段階になってから、さらなる夢の実現のために社交的なスキルをよりグレードアップさせ、ビジネスシーンに向けたスキルなどをトレーニングするサービスも行なっています。

一般的に言って心理的な問題のない状態のほうがさまざまなトレーニングが自然に身につきやすい状態といえます。以上の提案は癒やしというよりもさらなるステップアップのためのものです。

21、自己評価を高めるために

自己評価を高めるのは、意外にむずかしい作業です。自己評価が低いのならがんばって自信のもてる自分になればいいじゃないか、と思う方がいらっしゃるかもしれません。じっさいに自己評価を高めるためにがむしゃらにがんばって、けっこうな社会的地位にたどりつくこともあります。はたしてその段階で「自分はokなんだ」となるのでしょうか。

もちろんのこと十分な社会的認知を受けて、自信のなさから解放される方もいらっしゃいます。しかし社会的な賞賛や認知というのは、長いこと続くものではなくて、いっときであったり上昇することもあればその反動としてネガティブな評価が押しよせてくる場合もあります。長い人生全体を満たすものでないことが多いものです。

自己評価が低いと、心がとかく揺れ動きがちになります。負の時代になると華やかな時代には頭を引っこめていた低い自己評価が耐えしのぶべき時なのにもかかわらず、弱気の虫がとりついてよけいに足を引っぱったりします。

ようするに必要なのは、自分はokなのだと感じられるような外見的な鎧(よろい)を身にまとうことなのではなくて、昇降機のように上がったり下がったりしない確固たる自信です。つまり自己評価とは、現実的に得た社会的な地位や金銭に左右されることもあるけれど、そうでもないこともあるということです。

自己評価は、言葉が示すとおりに自分が自分に下す評価であって、客観的な評価ではありません。まずそのことに気がつく必要があります。むしろ心理的な課題と考えたほうが謎(なぞ)解きがしやすいでしょう。

22、母の変化で健康な母子の情愛をとりもどす

寄りそいカウンセリングサービスでは、自己評価を高めるために、克服型とはまったく方向性の異なったアプローチを行なっています。意外と思われるかもしれませんが、必要なのは、克服ではなく、手放すことです。話すことは放すことに通じるといわれています。いろいろなものにさようならをすると、新しく生き直すことが容易になります。

自己評価が高くなっていくといろいろな良い影響が出てきます。さまざまな問題が自然に解決していく、というよりももはや問題と感じなくなることがありますし、心の柔軟性も増していくことでしょう。

マズローの欲求階層説のうち、承認の欲求が満たされていないと、自己評価が低くなる傾向があります。承認の欲求だの自己評価の高低などというのは、最近の研究によるとどうも、人生の早い時代における刻印づけが関係しているらしいのです。母親がストレスを受けていると胎児もストレスを受けているように見える画像がリアルタイムに見られる時代です。

臨界期が二、三才とする説が有力なのは驚きです。子供時代にストレスにさらされすぎず、十分な保護とケアを与えられて育った状態について、比喩的な表現をさせていただくと心の保護膜がきちんと育っているとでもいうのでしょうか。そうでないと心への強い侵入を受けやすくなっています。

しかも発達理論によれば、発達(脳と心の発育)とは段階特定的で、ある時期に必要だったものを後からもらっても100パーセント満たされることはないといわれています。確かにそうかもしれません。しかし致命的ではありません。自然な自信を身につけていくことが可能です。

それからお母さんが変化したことによって、子供が小さい時代はもちろんのこと、すでに成人した子に良い影響が現われ、自然な良い親子関係に結びなおされていくのを目にして驚くことがあります。お母さん自身が徹底的にカウンセリングを受けたことにより、健康な母子の情愛を取りもどした不思議な場面を目にしたことがあります。現在の心に働きかけているようでいて、じつは心に残っている過去の場面を塗り変えているカウンセリングだったのです。

23、お母さんの変化は時間のしばりをくつがえせる

必要なのは子供への対応の仕方を変えるーこれもしないよりは変化させたほうがよいーことではなく、お母さん自身が回復していくことです。対応の仕方を変えるというスキルは、想定の範囲以外のすべてのシーンで応用が利くわけではありません。

ところが、お母さん自身が回復して変化していくと、日常生活のすべてに変化が生じ、お子さんも自然に変化していくのです。親が変われば、子も変わると言いますね。過去に足りなかったスキンシップを取り戻すかのようにハグしあう成人した子と親。時を埋(う)ずめるかのようです。いいですね。涙が出てきます。

もちろんのこと、お母さんの変化は、お子さんだけに影響を及ぼすのではなく、他の家族メンバーに何らかの変化をもたらします。これまでのきまりきった反応のパターンに変化がおとずれると家族の中に心地よい風が吹きわたります。まさに相互作用の世界です。

これは、家族システムの変化であり、家族メンバーに多少のストレスがともなうことがあります。それまでけんめいにささえていた家族システムのバランスが変わると、とまどいが生じることがあります。

このように段階特定的という発達理論のしばりをくつがえせるのがお母さんや家族です。家族にかぎっては時間の壁を通りぬけて過去に作用するようです。おそらくどのような名カウンセラーも変化したお母さんや家族にはかなわないでしょうね。それほどに家族メンバーは深い絆(きずな)で結ばれているのです。親子の関係ってすばらしいですね。

24、過去と相手は変えられないが、自分と未来は変えられる—その1

「過去と相手は変えられないが、自分と未来は変えられる」カウンセリングを勉強しているとしばしば目にする有名なフレーズです。たしかに過去を変えるのは不可能です。また相手を変えるのにはどうしたらいいのでしょうか。お願いしますか?変われと命令しますか?どちらもなかなかむずかしいですね。

この名句は、なかなか含意のある言葉です。「過去、相手、未来、自分」のなかでとりあえず可能性として変化させやすいのが、自分です。未来についてはあまり定かではありません。なんとか良い方向にしたいと考えて、いくら計画を練りに練ったからといって良い未来を引き寄せられるのかどうか、過去のパターンを引きずっているとしたら、知れたものでしょう。

「相手」はどうでしょうか。そもそも相手を変わらせようとするのは至難のわざ。自分には非がないのだからと変わることをいやがっている相手を変わらせようと、もがいてもそれは無理というもの。ましてや、過去なんて。記憶が変わるわけがないと思うでしょう。

そこで、自分が変わるためにカウンセリングを受けたとします。カウンセリングがもたらす自然な変化の流れは不思議なことに、カウンセラーの意図にかかわらず、結果的に良い方向にしか作用しません。(一時的な不調になることもあります)

カウンセリングによって変化するのは、クライアントさんの心だけではなく、表情、ふる舞い、応答など総合的に少しずつ変化していきます。すると不思議なことに、クライアントさんが問題にしていた当の相手にも変化が起きます。また、ストレッサー(ストレスのもとである人やできごと)に対するクライアントさんの見方もしぜんに変わっていきます。その結果たとえばハラスメントをしている相手は、しぜんにターゲットをクライアントさんからはずしていくという事態が起きるかもしれません。

つまり、クライアントさんの変化によって、問題としている人物も変わる可能性があるということです。より厳密に言うと、その人物に人格変化が起きるのではなく、クライアントさんへの対処の仕方に変化が起きるかもしれないということです。

これまでの決まりきった反応のパターンを脱して、クライアントさんが違う側面を見せると、相互作用というのは必ずありますから、少しずつ変わるかもしれないということです。

つまり、ここで「相手(の対応のパターン)が変わる」のです。

未来についても同じことがいえると思います。まず、クライアントさん自身に変化が起きます。すると未来は、どうでしょうか。未来の計画は、よりたぐり寄せやすくなるかもしれないし、もしかすると、ある種のこだわりがとれて価値観が変わるかもしれません。ともかく未来も変化していく可能性があります。

25、過去と相手はかえられないが、自分と未来は変えられる—その2

自分と相手と未来は変えられる可能性があることを〈24〉に書きました。それでは「過去は変えられない」というのはどうでしょうか。たしかに過去の事実は変えたくても、変えようがありません。そして、もしも変えたいと思うほどの過去ならば、それは、イヤな過去、忘れ去りたい過去など、負の感情がうず巻いている過去なのでしょう。クライアントさんの現在の生きがたさと関連しているのかもしれません。

しかし、これもクライアントさん自身が変容するにしたがって、事実そのものは変えられないけど、事実に伴なう感情は、変化する可能性があるのです。思いのたけを話しつくすと「もうイイや」「このことは自分にとって問題ではなくなった」という感覚が、しぜんに湧いて出てきます。あるいは吐き出し効果だけではなく他の心理療法で力がついてくると、自分にとってかなりどうでも良い過去の問題という位置づけへと変化していきます。

そうすると過去の事実は変わらなくても、過去に対する感情は変わっていきます。これが実現したころは、クライアントさんは、そうとう変容をとげたレベルに達しています。ここでつまり、過去(できごとや人物に対する感情)も変わったのです。

「過去と相手は変えられないが、自分と未来は変えられる」という言葉は、非常に謙遜な言い分のように聞こえます。より理想的なケースでは「自分が変われば、未来はおろか相手と過去も変えられる」ということも可能といえます。これは、けっしてカウンセラーの拡大解釈ではないのです。

26、家族療法も相互作用を利用

家族療法も相互作用を利用した療法です。家族療法は、個人カウンセリングをそれぞれの家族メンバーに当てはめて行なうものではありません。家族をシステムに見立てて介入を行ないます。システムってなんのことでしょうか。わかりませんね。私もはじめはわかりませんでした。

システムについてカウンセリングとかかわりのありそうな部分をかいつまんでご説明してみます。ある個人は、その人をとり巻く集団に所属しています。家族、あるいは学校のクラス、地域、職場など好むと好まないとにかかわらずなんらかの集団に所属しているでしょう。このグループは、バラバラな小石の寄せ集めなどではなく、お互いに相互作用性を持っています。グループの最小単位は、より大きな集団に包括されつつお互いに相互作用性があり、影響しあいながら変化していく可能性のある集団とみることができます。

またシステムは、より小さな単位からフィードバックを返されることによってたえず微調整をしながら変化している有機体的な側面があるのです。

さて家族もシステムとして見立ててみると、家族の成因がそれぞれあまりにも決まりきった反応のパターンをくり返して家族システムを守っていることに気がつきます。そもそも家族とは耳たこ状態の人の集まりでもあります。そこでなんらかの病理が生じたときに、だれかが反応のパターンや家族の行動パターンを変えてみます。すると変化が起き、変化が変化を呼びこむというような連鎖反応が…。

家族関係にシステム理論に当てはめてみるということを始めたのが、ベイトソンです。アメリカの文化人類学者のマーガレット・ミードの夫だった人で、ベイトソン自身もやはり文化人類学者であり、あのダブル・バインド理論の提唱者であり、共依存の概念もベイトソンらのグループから発信されているという見方があります。

ベイトソンは「知の巨人」と言われているだけあって、さすがにすごい人なのです。それはともかく、家族療法は家族の病理といっても精神疾患まで視野に入れてみると比較的軽い場合に良く機能する療法です。基本的な愛着関係が形成されている場合などです。

家族システム理論と少し似ているのが、家族のだれかに問題が生じたときに、他の家族メンバーが来談に見える場合です。家族の誰か、たとえばお子さんが引きこもったときに、お母さんが相談に見えるケースなどです。

問題をかかえているご本人が来談しなくても大丈夫です。家族間の相互作用という観点からみると、家族療法に類似した効果が得られます。親御さんも、子どものつまずきにはそうとうストレスをかかえておられます。やってあげられることは何でもしてあげようと思っていても、それがはたして良いのかどうかもわからないしというところでしょうか。手始めにカウンセリングで親御さんご自身のストレスを減らしていきます。

引きこもりが長引くと、親御さんもご近所や親類には、ひきこもりがないそぶり、また自分自身でも目をつぶって過ごすケースがあります。あっという間に10年、20年とたっていきます。引きこもりや摂食障害も高齢化が著しいのが、日本の現状です。

これで良いはずがありません。引きこもりは、基本的に青年期に多く発症しますから、中年にさしかかると外に出られることもあります。しかし、引きこもりを始めた青年期とは、社会人としてそして職業生活のトレーニング期に当たります。人生の大切な時期を失わないように、早めに適切な対応をしたほうが良いでしょう。

27、表層感情と深層感情

マズローの欲求の階層性にやや似ているのが、意識の表層をおおっている感情とふだんは深いところにもぐっているかのようで日常的にはあまり意識できない感情があるということです。私はこれを表層感情と深層感情と名づけました。

クライアントさんの中には、自殺未遂を経験している方がしばしばいらっしゃいます。多くの方は、薬の大量服用だったり飛び込んだりしたようです。それで彼らは、薬を飲んだり、飛び込んだりしたとたんに「しまった、大変だ」と思ったとおっしゃいます。

ふだんから死にたい病にとり憑かれていたような方たちなので、死にたいと思い込んでいたのが、危急のさいに思わぬ自分の健康な本能に気がつくようなのです。それで薬のいかなる症状も出るさきに救急車を呼ぶというパターンも目につきます。あるいはある方は、川に飛び込んだとたんにやはり「しまった」と感じ、川に流されていたのですが、もうじき海というところで、海まで流されたらおしまいだと思い、みずからがびっくりするくらいのすごい力で川につき出した木の根をつかんで岸によじ登り、生還したとのこと。

来談にみえる方は、自殺に失敗した方たちなので成功してしまった方の気持ちはわからないのですが、苦しくてたまらないと思うような時でも、自分で気がつかない健康な生への願望は体の奥深いところにそうとは気づかずにしまわれているのだということをぜひ知っておいてください。

苦しみや怒りといった意識の表層をおおいつくしている感情がはがれ落ちていくと、しぜんに本来持っているプラスの感情を実感できていくようになります。子どもをかわいいと思えない、叩いた、などとおっしゃる方でも、カウンセリングを受けることによって、自分自身のつらさや苦しみから解放されてくると、本来持っていた子どもへの情愛にしぜんに目覚めていかれるようです。

つまりあまりに心が苦しい場合は、本来持っている自分の愛情を実感できないのです。このような場合は、愛することをおぼえていただくのではなく、もともと持っている愛情深さの上に霧のようにかぶさっている苦しみを取りのぞくと、しぜんに子どもがかわいいと思えてきます。

このことを体の痛みにたとえてみると、腹痛できりきり舞いをしている時は、ペットをかわいいと感じられる余裕がないということと同じだと思えます。さらにマズローの欲求階層説に当てはめてみると、たとえば食べたい、寝たいなどの生理的欲求が満たされないと、次の高次の欲求が芽生えようにも芽生えてこないのに似ています。

表層感情をカウンセリングで取り除いていくと健康な意識を実感できるようになることが多いものです。

28、ダメンズ・ウォーカー

ダメンズ・ウォーカーという言葉は、マンガを発信地とした言葉で、どういうわけかダメな男とばかりつきあってしまう女性のことをさしています。ダメンズ・ウォーカーも自己評価の低い女性の典型ですね。

人は、自己評価の同じ程度の人と惹かれあい、いっしょになるといわれています。そうでない場合もたくさんありますが、自己評価が低い人同士だと、とくに強く惹かれあうことがあります。一目見て惹かれあうとすらいいます。

一目見たときに、「あっ、この人は私のように自己評価の低い人だ」とは思いません。ただ大変魅力的に感じるのです。さらに言えば、同じような環境で育ったなと感じるか「自分自身のことを嫌いな人だな」という印象を持つくらいでしょうか。そしてそれはたいてい当たっています。

29、PTSDによる自己評価の低下

PTSDによって、いちじるしく自己評価を低くしてしまう方がいます。その場合の心理機制は次のようなものと考えられます。そもそも自分にはなんら落ち度がなくたんなる被害者にすぎないのに、理不尽な事故などに会い、非常な苦しみにあう。これは耐えられないことです。

正常な高さの自尊心を持った方が、どん底につき落とされるとその落差は目をおおうばかりのものとなります。それで巨大なPTSDをなんとかしのぐために、傷の深さに対応して自分のことを貶(おとし)めてしまうという心の作用を通過するのです。自分のことを傷を受けるのにふさわしい人間として評価してしまうわけです。

家庭内で不誠実なあつかいを受けて育った人にも、そのような心理機制が働いている傾向があります。

30、条件つきの愛

子育てにかんしては、「ありのままのあなたがいとしいの」というメッセージが子供の全身に染みわたっていることが肝要です。これが承認の欲求を満たす基本形です。この言葉がそのまま子供に向かって口に出される必要はありません。子供は子供として保護されて育てられる過程で、このメッセージを全身で感じとっていくのです。

これと正反対なのが条件つきの愛です。「いい子でないと愛さない」「かんばる子でないと愛さない」「勉強のできる子でないと愛さない」「お母さんの要求を満たさないと愛さない」というようなものです。

いい子として育ち、なんらかの症状が出てしまった人は、医師などから次のように言われるかもしれません。「いい子すぎたからよくなかった」と。しかしいい子を選択したのは、本人の意志なのでしょうか。

たしかにいい子になるだけの力量を備えた子ではあったのかもしれません。しかし彼らは言うでしょう。「好きでいい子になったのではない」と。いい子でないと許されない雰囲気を肌で感じとっていたのでしょう。

お母さんの承認の欲求の代走者のように、スイミング、ピアノ、ダンス、幼児教室、タレント学校など多くのおけいこごとに通っている子もいます。お子さんはお疲れでしょうね。

親から条件つきの愛情のメッセージが発せられていると、子供はけんめいに愛に値する子になろうと努力し続けます。それは涙ぐましいものです。そして心身の強い生まれつきの方は、そのまま一生つっ走り続けるかもしれません。

親御さんから何かをもらい足りなかったなと自覚なさっている方は、子育てや自分自身に対して適当ということを学ばれておくとよいと思います。「適当に手を抜く」「たまには遊ぶ」などということです。

これは、世間一般の考えでは、適当にやるなどというのは、とんでもないことで「きちんと学ばせる」「厳しくしつける」ことこそ、教育の本道ととらえておられる方が多いことでしょう。たとえば有名人やその子弟が世間をにぎわしたりすると、コメンテイターが教育やしつけができていないなどと評論していることがあります。一般的に心が弱いというのは、愛情不足の問題でもあるのです。

ここで話をもとにもどすと、カウンセリングに関連した世界では、適当にする、のうのうとのんきにかまえている、などがベストのあり様(よう)です。これらの心の状態は自分に自信があってこその状態なのです。

子供を育てるうえでは、親がお子さんに「適当にしなさい」「がんばり過ぎないように」と口に出して言うよりも、親御さん自身が思いつめないで楽しく生きることを実践することが有効です。親子は以心伝心ですから、口で伝えるよりも全身が感じとっていきます。

31、おかあさんの不安とコントロール欲求

きびしいしめつけパワーが家庭内に満ちていると子供は柔軟性を失います。気をつけなければならないのは、子供時代に柔軟性を失うということは、生涯をつうじて柔軟性のない生き方をする可能性があるということです。児童期までの人生の季節は、それほどに激しく刻印される時代であるということをおぼえておいていただければと思います。

またきびしいしめつけパワーと書きましたが、お母さんが不安でいるとコントロール欲求が強くなる傾向があります。おそらくお母さんは自分自身の不安感をなんとかぬぐい去ろうとして、子供をコントロールしてしまうのでしょうね。頭で考えているのではなく、おそらく無意識のうちにそうしているのだと思います。

過干渉もコントロール欲求の一種といえばおわかりになるかと思います。過干渉になってしまうのは、自分に自信がないためでもあるのです。このように自己を受容することは、たいせつなだと思います。

さて、近年話題になっているいつまでもぶらぶらとして働かない青年や、ひきこもりがちである、という若ものたちの現象に対して甘やかしが原因であるととらえる方もおられるかもしれません。

こうした若ものたちの中には、甘やかされて育ったというよりも、親とくにお母さんの激しいコントロールパワーを浴びて育ったために、あたかもそれが重すぎて体が動かなくなったかのような方たちがいます。そもそもお母さんが子どもと適切な距離感を持てなかったことが原因で生じる精神疾患もあるのです。

人生は良い時もあれば悪いときもあります。人生を楽しむことを知り、適当という生き方の匙(さじ)加減(かげん)を知り柔軟性を持っている方は、とり憑かれたかのようにがんばり抜くことはないのかもしれませんが、逆境や危機の時に強いといえるでしょう。危機に遭遇したことをきっかけにしてとつぜん目覚め、フル回転を始めるかもしれません。

32、厳しいしつけについて

ニートでぶらぶらとしているように見える青年に対して、いつまでも甘やかしているからああなるという論調があります。たしかにそうかもしれません。たとえば圧倒的な貧しさとか飢えが現実的にせまっている場合は、そうもしていられないのかもしれません。さきの大戦中も、たしかにそれどころではなかったでしょう。

厳しいお母さんを評価する意見は常にあります。これはどのような場面で厳しいのかにもよります。愛着関係が形成されている場合は、厳しくてもさほど弊害がないでしょう。カウンセラーとして心配なのは、厳しいという印象をもたれているお母さんがしばしば外傷的な母の側面を持っているということです。

子どもは、いくつになってもお母さんのことが大好きですから、精神症状が出ているような場合でもお母さんの厳しさを評価するクライアントさんがしばしばいます。遠因は、母なのではないのかという場合でもです。

あの神戸の小学生を殺害した中学生も、原因についての専門家の判断は母の厳しすぎるしつけによるというものでした。しかも性的なサディズムをともなっていました。外傷的な養育によって性が犯されているということはしばしばあるものです。

どのような場面でやさしく接し、どのような場面では厳しく接すると教育上の効果があがるのか、細かな教育論はわかりません。しかし、総じていえることは、厳しくしつけたいのなら幼いときには、やさしく接し、長じてからしつけを厳しくしていくのが原則論でしょう。やさしい母のほうがリスクは少ないのです。しかしやさしいといっても、すべてに手をだしてしまいがちな過保護であってはならないでしょう。

まれに母から厳しく育てられて、強く育つお子さんもいらっしゃいます。親の強い性質がお子さんに遺伝していて、子も強い性質を持ち厳しくしつけられたせいか、とてもがんばり屋だという方です。

お子さんの性質にもよるでしょう。厳しいしつけにもへこたれずに、天来の性質よりいっそう強く育つという方が確かにいます。そうすると厳しいしつけに負ける子の資質の問題になってしまいがちです。やはり、神戸の少年殺人事件のような結果になってしまうことのあるような養育方法は論外と言えます。

33、天才くんはこうして育つ?–その1

子供はのびのびと育てなければということがわかっていても、年若い天才たちが活躍しているのを見ると、ついうちの子もぜひと思ってしまいますよね。スポーツなどで早々と活躍するのには早期天才教育は欠かせません。うらやましくなったり焦(あせ)る気持ちはわかります。

くわしく調べたわけではないのですが、彼らを見ていると、子供自身の好きという自主性の発露だけではああはなれないような気がします。やはり多少親の人工的な働きかけが加味されているように思われます。子供にああなってもらうのにはどうしたらよいのでしょうか。よいことをお教えします。

そのためにはもちろんのこと才能が必要です。親ごさんに才能を見きわめる程度のそのジャンルにおける知識が必要です。それから何が必要でしょうか。たいせつなのは毎日の特訓でしょうか。ガンバレという激励でしょうか。野球マンガ『巨人の星』の主人公のお父さんである星一徹さながら、ちゃぶ台をひっくり返してでも一家あげて全人生を幼い子供にかけるという気迫でしょうか。

そうではないと思います。これらにも増して大切なのは、好きにさせるということです。そのためには幼いころから毎日特訓につぐ特訓、それにくわえて叱咤激励と罵声を浴びていては、バーンアウトしかねません。

天才くんたちに、平坦な道はありませんからいずれにしても、才能が芽ばえかけ世間に名前を知られ始めた時点ですでに危機をいく度か乗りこえ、これからも危機が待ち受けていることでしょう。これらの危機を乗り越えていくのにたいせつな要素が好きということなのです。

それにはまず親御さん自身が好きだったり心から憧れていることが必要でしょう。しかし親御さんの熱い思いをありったけ子供に直接ぶつけるだけでは空回りしかねません。

変な表現に聞こえるかもしれないのですが、天才くんたちの親はじょうずに好きにさせているのだなという印象があります。ただ熱い思いの炎を吹きかけているだけではないような気がします。

好きになるのには、まず誉めることがたいせつです。ちょっとしたステップを乗り越えたときなどにタイミングよく肯定的に声をかけます。子供は親が大好きですから、達成感が倍加することでしょう。

それから折りにふれて、あこがれのその道の達人たちの妙技などを観賞する機会を作り直接に触れたり、あるいはビデオやCDなどで、親自身が感動しつつ、その感動を具体的に表現するなどして、お子さんの自身の目標としてそっと心の中に置いてもらうようにするのもよいのかもしれません。

34、天才くんはこうして育つ?–その2・選択の錯覚

そしてもっともたいせつなのは、その道を自分自身で選んだという感覚を持つことです。これが踏ん張りのきく原動力といえます。たとえば勉強する場合を考えてみると、親から「勉強しなさい」といわれると「今やろうと思っていたのに」と強制が反発を呼び、身が入らないどころかよけいにやりたくなくなります。ところがいったん自分の意志で何かを遂げようと決めると、人はかなりがんばるものなのです。

ところで子供の視界は、幼いころはごく限られています。親自身の熱意もあって上手に誘導された結果としての好きであっても、自分自身の意志で選択したのだという思いがあれば、自己実現の欲求という水準になります。

ほんとうは、自分の意志で選択したのでなくとも、そう思い込んだ結果としての効果は、真実の意味で選択した結果と変わりがありません。これを実証した心理学の実験があります。これを「選択の錯覚」と言います。

さて、スポーツ、音楽、囲碁将棋などのように早期天才教育の必要のないジャンルでも親と同じ道をたどる人は多いですね。絵描きの子が絵描きを目指したり、作家の子が同じように作家の道を歩んだりと、芸術の分野だけではなく、教師や医師などごくしぜんに親の職業を選んでいる方はおおぜいいます。

いわゆる蛙(かえる)の子は蛙というやつです。親の薫陶を受け、親を心から好きでそうした親の生き方なり職業なりをたとえ無意識であっても、評価しているからこそ同じ道を選ぶのです。これには、選択の錯覚もありません。親の全人生を肯定しているからこその子供自身の選択なのでしょう。親の価値観を共有しているということは、親を自然に肯定的に感じとっているということですから、最高ですね。

いずれにしても、お子さんにたいしては「こういうふうになってほしい」と思いつめすぎず、「ありのままのあなたが好きよ」といった雰囲気で接するのが基本です。そのほうが心が強く育つのです。

子供を自分の不足感の埋め合わせに使わないように気をつけたいものです。こうした心の作用は、無意識のうちにされるか、親御さんの自覚としては子どものためと考えておられるようです。

35、男女の厄年を心理学からみる

承認の欲求が十分に満たされないで育った例のひとつとして、不足感をバネにして生きていく場合のタイプの例をあげてみましょう。次のような方は、たぶん心も体も人並みにすぐれてじょうぶな方なのでしょう。

いわゆる仕事依存とでもいうのでしょうか、けっこうな地位と報酬に恵まれる方もいます。しかし、ご本人の心の内はとみると、苦しかったり何か不安だったりすることがあるものです。

弱音を吐きたくなる自分が許せなくて、相変わらず克服型で対処していくためには馬力が欠かせません。だけれど馬力を出すための体力がいつまで持ちこたえられるのでしょうか。

自分の弱い部分や湧きあがってくるけれども打ち消したい弱気の本音、そういうものに真正面から目を向けることのできる方はある意味で心の強い方です。真に勇気のある方といえます。

さて、いっぽうで懸命に走り続けてみては来たけれど、心も体もそれほど丈夫ではないと、中年期を過ぎるころから体力が弱まっていき、結果として心も電池切れを起こしてガクリとうつになる方がいます。

女性は体力が弱いので、もう少し若いころから電池切れを起こしやすくて30代になると、体がどうしても動かないと訴える方がいます。男性は40代と言われています。はたせるかな、これは男女の厄年の年齢に当たります。

古来、男女それぞれこの年齢の周辺になると体力に変化が起こり、連動して心の危機も生じるのでしょう。思春期も体の変化とともに心の症状が出やすくなるある意味でむずかしい時期です。体の変化が心の変化を連れてくることがあるので、体調に注意が必要です。

男女の厄年の周辺にいる方々は、神社での厄払いが必要なのではなくて、体の変化に留意する必要があります。そして心身に症状が出た方たちは人生のふり返り作業が必要です。体の症状と考えていたものがじつは心の症状だったという例がたくさんあります。仮面うつ病、それからたんなる自律神経失調症、更年期障害という診断名がつくこともあります。

36、ハラスメントの加害者心理

私の経験では、じっさいにかなりの年齢に達してからエンパワーされ、以前は自己評価が低かったのに、現在は「自己評価って何のことだかわからなくなった」と自己評価が自然消滅して自然体をとり戻している方もいます。自己評価が消えていき、「自己評価ってなに?」とピンとこなくなったら喜ばしいことなのです。

あるいは次のような例もあります。娘時代ははつらつとして元気だったのに、DV(ドメスティックバイオレンス)的な男性と結婚して、ささいなことで責められ続けたので、すっかり自信をなくし、その自信喪失の状態を見た実家の親兄弟にあきれられていたという方です。こういう場合は、自信喪失のメカニズムを理解し、さまざまなエンパワメントを実践することで、自信をとり戻していくことができます。

エンパワメントの方法として「がんばれ」と叱咤するのは、最低の手段です。さんざんがんばってきたのに「さらにがんばれとは何ごとっ!」ということになりかねません。クライアントさんの話をじっくりと聴いて、そのつらさについて共感をていねいにフィードバックしたうえでよく観察してクライアントさんがストレス下にありながらも、持ちこたえてきた力や自分では気づいていない長所や良い資質を引き出していきます。自信をもってよいところは積極的に評価していきます。

自信がないと、無意識のうちにターゲットを探している人からハラスメントを受けやすい状態になっていることがあります。加害者は抵抗オーラの乏しい人に自然に目をつける、というよりもひと目で見分けるといいます。

被害者を探しているような加害的な人物はもしもあなたが、いかにももろそうで自信がなく抵抗オーラも乏しいとなると本能で嗅ぎわけて近づいてくることでしょう。攻撃のターゲットを探している人は、別に被害者を探し出そうとは意識していません。弱い立場か反論できない性格の人を見つけ、その人に問題があると感じ、判断するのです。これらの理屈は、すべて無意識下で行なわれます。

反対に、自信たっぷりで振り回せそうもないと見てとると離れていきます。こわい人本人の自覚としては、興味をなくしたと感じていることでしょう。自信たっぷりになりそして柔軟性を身にまとって、こわい人から身を守りましょう。

37、究極の癒やしはありますか?

究極の癒やしはあるの?と聞かれたら、究極の癒やしはありますとお答えしたいと思います。究極の癒やしとはあなたはそのままでいいのです、というメッセージです。この言葉は、どうしても消えていかない心の癖や傾向に苦しんでいる方にとってはつねに伴ないがちな罪悪感が減って有効に作用します。

これは古来全世界共通らしく、浄土宗や浄土真宗における他力本願がややそれに近いといえるでしょう。これらの宗派においては、自力本願はいけなくて他力本願が良いのです。これは、竜樹という紀元2世紀ごろのインドのお坊さんの考え方がもとになっています。一般的には、自己の力で克服していこうとする自力本願のほうが、近代的な自立思想にもつながっており、すぐれた解決策のように受け取られると思います。しかし、心が少々弱っているようなときは、執着を捨て去りやすい他力本願のほうがうまくしのげることがあるのです。

アルコール依存症のグループ・ミーティングで使われるAAのプログラムやさまざまなグループ・ミーティングで最後に唱えられる「平安の祈り」に次のような章句があります。「神様私にお与え下さい 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを 変えられるものは変えていく勇気を そして二つのものを見分ける賢さを」というものです。これはラインホールト・ニーバーの言葉と言われています。厳密な発信元についてはいくつかの説がありますが、「ニーバーの祈り」と一般的に呼ばれています。

それから心理療法のひとつにアルバート・エリスの論理療法も同じような解決法を提示していると思います。論理療法におけるエレガントソリューションは、心理的な問題がおきてしまった場合に、「だからどうしたの?」という立場をつらぬき、おびやかされる必要はないのだという姿勢が解決法だと強調しています。

そして日本の心理療法である森田療法。これらにはすべてそうなってしまう自分を許そうというメッセージがこめられています。うがった言い方をするのなら回復しようという試みがだめだったなら、回復しなくてもいいのだというスタンスへの心構えを説いているともいえます。

さらにACTという新しいアメリカ発の療法も、東洋の療法を取り入れています。

洋の東西を問わず、そして過去においてもこのような癒やしが存在したということは、人類にとってどうしても必要なものだったと考えられますね。

38、克服型ではない対応法

自分には、弱みがあるのでなんとかそれを克服したいと思っておられる方はおおぜいいらっしゃることでしょう。克服型で対処していく場合、前方に横たわっているものが浅くてはばが狭いみぞ程度のものならば、十分な助走をしてから、飛び越えることもできるかもしれません。

しかし、そのみぞが深い谷で、はばも広かったらどうでしょうか。一跳びで越えられないとなるとリスクがかなり高くなります。長いこと陸上競技の選手のように跳躍力を高める訓練をしていなければならないかもしれません。

ここで「自分にはそのような跳躍力はまずつかないだろう」と考えて、異なる方法を考えてみるのはカウンセリングに似ています。たとえば深い谷をへだてた向こうがわにたどりつくために、くるりと背中を向けてまったく別のルートを探す方法もあります。

また、谷を跳び越すのではなく、降りていってまたなんとかしてよじ登っていくというのも一つの方法です。別のルートを探したり、登ったり降りたりしているあいだに、異なる能力を獲得しているかもしれません。

39、オールオアナッシング、まい進すべきか投げ出すべきか

あなたの身についているリスクの対処法ががんばり屋の克服型だったら、立ちはだかる壁の大きさや谷の深さにとまどった時に、回り道のように見える解決法を選択肢のひとつとして視野に入れておいてください。

克服型になれ過ぎていらっしゃる方は、克服型を手放すのなんて考えられないかもしれません。しかし、対人関係の解釈のしかたや、そのとるべき態度についてはあなたが長年慣れ親しんできた方法以外にも存在する可能性があります。オールオアナッシング、まい進すべきか投げ出すべきか、そんな思考法におちいってはいませんか。

もっとも必要なのは、柔軟性です。柔軟性とは弱さではなく強さなのです。対処法が古い固定したパターンにとらわれていないのか、カウンセラーとともに検証しながら、異なる効果的な方法をさぐっていくのもよい結果をみちびくための道のひとつです。

40、自分の症状の客観化

症状を受け入れていくためには、症状の客観化という心理的プロセスが必要です。症状らしきものが起きてしまった時に、「これは症状である」という気づきが端緒になります。

AA(アルコール依存症のミーティング)のミーティングにおけるプログラムでしばしば唱えられる「あとは神様におまかせ」「手放す」などの章句は、症状に距離感を感じ取るのに格好の言葉であると思います。

症状に距離感を保てるようになると、対人関係においてもどのような距離感をとることがその場にふさわしいのかについて、考えるきっかけを提供するでしょう。対人関係で距離のとり方がわからない方はけっこういるものです。

こうしてよりいっそう回復してきて完全な治癒とストレスのかかった状態との境界ゾーンに突入していくと、新たな悩みが生じてくることがあります。

かなり回復してきてグレイゾーンにおられる方々は、何かの悩みが生じると、今自分が悩んでいる悩み方は、病的な悩み方ではないのかと疑問が生じることがあります。一般的に言ってごく健康に暮らしていても、やはりストレスや悩みはつきものです。

アダルトチャイルドの方の場合は、生きることにまつわる一般的な悩みすらも「これってAC(アダルトチャイルド)的?」と多くのことを、アダルトチャイルドの悩みにしてしまわれることがあります。

しかし、一面でこういう方は、アダルトチャイルド的な部分からかなり回復してきていると言えるのです。まっただ中にいては、起こりえない思考法だからです。しかしそれで果てしなく悩んでしまわれることがあります。

41、未解決の問題?それともただの悩みすぎ?

そうとう回復したステージにいるのに、新たな悩みが生じてしまう場合があります。ごく大まかに言って対処法は二つに分れます。一つめの場合は、全体的に健康度は増してきている状態なのにもかかわらず、つまずきが生じてしまうケースです。この場合は、それはどういう時に起こりやすいのかを聞き取ります。どんな人が対象の場合なのか、いつなのか等を詳細にたずねていきます。

クライアントさん自身の自覚として必ずといってよいほどひっかかるシーンがあるのなら、それはクライアントさんにとって未解決の問題から来ているのかもしれません。このような場合はふたたび未解決の問題に焦点をしぼってセッションを行なっていきます。

それからたんに考え過ぎということがあります。自分の思考法への気づきは大切ですが、考えすぎもやめたいものです。誰にでもありがちな悩みなのに、病的な悩み方ではないのかともんもんとしてしまわれるわけです。

このような場合カウンセラーは「誰にでもあることですよ」と言って、健康的なゾーンへとポンとあと押ししてあげます。しかし、考えてみればこのような悩みを抱いた状態というのは、かなり健康体に近い状態ですからカウンセラーとしては、安心して本格的な巣立ちをうながせばよいのです。

カウンセリングによって薬が減らせるようになるとします。すると薬を減らした当初は、症状が悪化したと感じてしまうことがあります。このような時に悪化したのかなと感じられるような症状は出るものだと知っておくだけでもおびやかされずにすみます。良い傾向だと知っておくとよいでしょう。

自分の症状の変化に驚かないということは、自分自身の感じ方に対して、非常に客観的に目くばりのできる態度が育ちつつあるといえます。あとは回復に対応した自信を育てることの大切さに気づく必要があります。これはそれほど困難なことではありません。

自分の症状を受け入れるという姿勢で臨んでいくことはあきらめではありません。より良く生きることを意味しています。また長いスパンでみると変化がおとずれやすくなっている可能性があります。

このような心境にたどりついた方をたくさん知っていますが、彼らおよび彼女らはどこか自分に対して客観的なところがあります。もともと客観性があったわけではないのですが、さまざまな気づきを得ることによって自分を見つめる第三者的で複眼的な観察眼が同時に存在するようになったといえます。

怒りはもはやなくなっています。それから彼らは、手放す作業をしてこられた方たちです。何を手放したのかを一言で表すことむずかしいのですが、一朝一夕(いっちょういっせき)でこのような境涯になれるものではありません。こうした境涯にたどりつくまでに、どれほど心の旅路を歩んでこられたのでしょうか。そう思うと心打たれます。

何か問題が生じた場合、全面解決とはいかないまでも適当にどうにかこうにかやり抜くということは実に大切なことです。どうにかこうにかやり抜いたなら、自分のことをおおいに誉めてあげましょう。100パーセントでなくてけっこう、50パーセント、40パーセントならばなおさら良いのです。バーンアウトしないし余力が残っているのですから。

42、癒やされた状態ってどんな感じ?

癒やしを必要としなくなる状態になることはある意味で、究極に癒やされた状態といえるでしょう。以前だったらなんらかの症状が出ていたと思われるような否定的な言葉を浴びせられたり、いやなことを無理強いされたとしても、さほどダメージを感じなくなっている状態になっている自分自身に気づいていただけるようになったら最高です。

そのような状態になると自(おの)ずと視界が開けてきており、自分に症状を出させてしまう人の背景などへの理解が深まっていることに気づくでしょう。

また視野が広がってきたということは、自分の抱えている問題が圧倒されるほど大きなものではなくなっているという現象を伴なうものです。かつては激しい心の痛みにおそわれたことに対しても、あまり心が痛いと感じなくなります。

そのような状態になると問題となった特定のできごとに対してだけでなく、いろいろなできごとにもさほど動揺しなくなり、少々の衝撃があってもせいぜいところ風が頬に当たった程度の知覚しかなくなっていることに気がつくでしょう。結果としてご自身がいろいろな対処法を身につけたことになると思います。

このような状態はつまり心が変容して強くなったといえるのです。

1 thought on “良いカウンセリングとは”

  1. 傾聴は自分自身の本心に気づくことができ、非常に効果があるものだとおもいました。
    私は、アダルトチァイルドでまた、マザコンのけもあり、職場でストレスにまけてしまうことが
    あるのでカウンセリングを受けてみたいとおもいます。

    話はかわります。お願いがあります。
    以前、アフィリエイトで販売していた小冊子「特別編集グッスリ眠る方法」を購入したいです。
    なんとかゆずっていただけないでしょうか。

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