治癒とは、当然のことですが主訴の解決です。そのうえで、主訴の解決に向けてカウンセリングをしている時にクライアントさんがしばしば感じることのできる、副次的に起きる可能性のある変化の一部をお知らせします。これらの変化は、回復とともに「ああそうなんだなあ」とほんのりと気づく程度のものです。
例① 回復していくと、それまで気がつかなかった他人の長所に気づくようになることがあります。苦しいさなかには心に余裕がなくて、そもそも他人の長所が目に入ってくることはありません。
心が弱っているときはどちらかといえば、負の感情がうずまいていてそれどころではない状況なのでしょう。否定的な思考は自分だけでなく、周囲のすべての人やできごとに投影されていくので、マイナス感情の結果としてのマイナス評価がすべてのものに対してなされがちなのです。それが回復していくとともに、視野が広がっていくようなのです。
回復とともに視界が開けてくると身近な人についても、あるいはさらにそれほど身近でない人に対しても評価すべきところは評価できるという余裕のある心へと変化していくのです。
例② セラピーにつながる前はたとえば救世主と思えるような人にのめりこんでいってしまっていたかもしれません。救世主と思われた方はクライアントさんの重すぎる思いを持ちこたえることができないのが普通でしょう。「またその話しい~っ!」と言われてしまうかもしれません。ストレスがべったりとはりついている時は他人との距離感がとれなくなっていることが多いものです。
すべてをわかってくれる救世主と思われる人がカウンセラーや精神科医であれば、安全です。また、そのような思いを持つことは、むしろ治癒の過程として必要なことなのです。彼らは、それが治癒に必要な心のプロセスであることを承知しているので、クライアントさんの思いを一定の距離をとりつつ受け止めてくれるでしょう。
専門家は、「またその話ですか。いいかげんにしたら」などとは言いません。親密でいて深い思いが治療者に向かった状態を心理療法の創始者であるフロイトは、感情転移と名づけました。感情転移は治癒の過程で体験したほうがよい場合がたくさんあります。
転移には過去の親子関係の再現といった側面がありますから、怒りも表出してきます。無理もないことです。安全なところで怒りを出すということは、怒りを体から放出する作業です。はんたいに怒りを体内に閉じ込めると、閉じ込めた怒りが心身に悪い症状をもたらします。
うつも根本は怒りであると言われています。うつは怒りが自分自身に向けられた状態なのだそうです。隠しこんである怒りを探し出すことは、けっこう重要なことといえます。怒りを隠しこんだために生じる症状や性格の傾向にはさまざまなバリエーションがあります。親しい人に怒りが投影されることもあります。その場合には、怒りの変形物であるということに気づくことが回復のきっかけになることがあります。