《事例紹介19・ノーという練習ことはじめ》でご紹介したように、ノーと言えない人もいれば、言える方もいらっしゃいます。ノーと言えない人は、言えないがために、必要でないものを買わされたりして、けっこう不便な思いをなさっているようです。では、なぜノーと言えないのでしょうか。それは養育環境による影響が大きいといえます。
《ノーという言葉を知らずに育った》親の態度が非受容的で、子どもが尊重されないで育つと、子どもは「いや」と言えない習慣が身につくことがあります。とてもそんなことは言えたものじゃない、それは親が許さないだろうとごく幼いころから察知するのです。つまりノーと言うことが許されない環境で育った習性が尾を引いているのです。
《自覚し練習する》長い習慣を打ち破るのにはどうすればよいのでしょうか。身を守るためにノーと言う。これはぜひとも必要なことです。自分はノーと言えない性質だと、ばくぜんと感じていたとしても、すぐにノーと言えるものではありません。自覚し、由来を知ることでやや実践しやすくなるでしょう。
《ハードルの低い場面から》一般的に義理のある人、親しい人、身内などから頼まれごとをされると、お断りしにくいですね。反対に知らない人、関係性の薄い人から頼まれるとわりあいにお断りしやすい。こうした傾向から考えると、ノーを言う練習は、まず、ハードルの低い場面で実践してみるのがよいといえます。
《アサーティブ・トレーニングの活用》当カウンセリングでは、アサーティブトレーニング(主張訓練法)を活用して、カウンセラーと1対1でノーをいう練習を実践しています。初めはノーと言うことなど思いもよらなかった方も、やがて必ず言えるようになっています。
《より洗練されたノーを》ノーを言われると、鼻先でピシャっと戸を立てられたような気がするので、ノーが言えるようになったら、より微妙な言い回しを身につけたるとよいでしょう。その点、今の若い人たちは、微妙……、~とか~とか等とじょうずに婉曲話法を活用しています。昔の日本の映像を見ると時として言葉の激しさにたじろぐことがあります。現代の若者たちは、日本が豊かな時代に育っているので、多くの若者たちがお嬢さま、お坊ちゃま風な相手に気を悪くさせない口調になっているのでしょうか。
《これでもよいのです》もしかしてあなたは、ノーを言うことにかんして、完璧主義が頭をもたげていないでしょうか。はじめは上手に切り返しができなくてもよいのです。さまざまな方法がありますから。以下は完璧でなくてもOKな提案です。○ノーとはっきり意志を表明しなくても、窮地に追いこまれない場合は、面従腹背という手があります。戦国大名は全員その手で生き抜こうとしました。なにしろ、一族と臣下の命がかかっていますからね。現在も、多くの代議士たちは、その手を使っているようにみえます。○じゃあ、あなたは何々と言っているのですね、と相手の言葉をいったんリピートしてから、考えときましょう、と言う。「考えときます」、これは京都風の断り用語として、かつては煙(けむ)たがられたようです。しかし、さすがに古い都、洗練されていますね。○「主人(家族)に相談しておきます。」これも、「考えときます」とほぼ同じ断り効果があります。なんて主体性のない態度だと論評するのは、浅読みなのです。この言葉が発せられたら、だれも色よい返事が返ってくるとは思いません。○ずうっともぐもぐ、もぞもぞと言っておいて、何が言いたいのかさっぱりわからないまま、時間をかせぐ。その間に『大変でしたね」とか「おいでいただきまして…」とか慰労の言葉も散りばめる。相手の方たちは、結局返事がどうだったのか不明なまま、首をひねって帰っていただく。
《罪悪感を持つ必要はない》ノーと言うことに、罪悪感を感じてしまう人がいるようです。しかし、罪悪感を持つ必要はまったくありません。これも養育環境がもたらした後遺症にすぎません。