ふつう環境という言葉を聞くとどんなことを想像するでしょうか。街並み、静けさ、うるさいのか、田園地帯か、せいぜい暮らしが貧しいのか豊かなのかといったところでしょう。このように環境という時、私たちが想像するのは、対人関係の中核的なものというよりも、より背景的なものなのではないでしょうか。ところが心理学で環境と書かれているとき、一般的な常識とニュアンスが違う場合があるのでご説明します。
たとえば統合失調症について『精神保健福祉用語辞典』をみると、次のような記述があります。「…統合失調症の発症機序については、ストレスー脆弱性モデルが注目されている。このモデルは生物学的脆弱性をもつ個体に心因としてストレスが加わり発症あるいは再発するという仮説である。……むしろ……在胎中から思春期までの環境との能動的相互作用により脆弱性が形成されると考えるほうが、これまでの統合失調症の膨大な研究成果を統一的に説明できる。……統合失調症の発生のリスクは、胎生期から思春期までの豊かな環境を保障することで相対的に軽減されると考えられる」
「胎生期から思春期までの豊かな環境」とは、けっして教育施設や保育施設のととのった地域の環境のことではありません。家庭環境、もっと言えば母子関係等が安心できるアタッチメントのある養育環境をさしています。辞典の記述は、人が育っていくうえでぜひとも必要なアタッチメントを軽く流し過ぎているような気がするのです。アタッチメントとは、密着して育ててもらった人(たいていは母)との心の絆で、人がふつうに強い心で生きていくために必要なものです。アタッチメントがしっかりできていると、さまざまな心の問題が起こりにくくなります。
このように心理学や精神医学では韜晦(とうかい)趣味がかなり見受けられます。内実は対人恐怖であるものを社会不安障害といったり、家庭環境を社会環境と言ったりします。その点アダルトチルドレンの問題を追求している斉藤学医師はダイレクトです。たとえば、ライフサイクル論を提唱したエリクソンは乳児期に獲得しなければならないこととして基本的信頼をあげました。この基本的信頼を斎藤医師は、あっさりと「心の中にお母さんといっしょにいる感覚(『インナーマザーは支配する』)と書いています。あるいは自信のない人が、なんの問題もなさそうにのうのうと生きている人を見て「根拠のない自信」を持っていると感じたとします。これについて医師は「根拠のない自信とは、私はたっぷりと愛された」ことに由来する。と書いています。(前掲書)
私は、心理系の資格試験を受けるための講座で「原因追及をしても意味がない」という教育を受けてきました。このフレーズには、さまざまな意味があると思うので、ここでは立ち入らないことにしておきます。ただ原因をはっきりとさせることに意味がある場合もあります。ひとつには、原因をはっきりとさせると再発防止につながるということです。それから、症状の出たご本人が原因がわかることによって、はは~あん納得という状態になることがあります。それだけで、症状が消えたことがあります。これは除反応といって、原因がわかると自然に症状が消えることがあることをさします。もちろんのこと軽い場合ですけれど…。いずれにしても、心理学の世界では、原因についての韜晦趣味があるなと感じています。