太宰治の短編は名品ぞろい。太宰の短編というとなぜ判でおしたように「走れメロス」が推されるのかよくわからないのですが、他にも珠玉の短編だらけですから、それらも一読をおすすめしたいと思います。その他に私は、10年ほど前から世界一長い小説マルセル・プルースト作「失われた時を求めて」を読みつつあります。全10巻のうちいまだ、巻7に取り組んでいます。爆笑問題の太田さんが「失われた…」を読破したということを地元千葉の古本屋のおじさんから聞いております。そのことだけで、彼に親近感をおぼえてしまうくらい、この小説を読んでいる方は少ないようです。そんなに長いこと読んでいて忘れてしまわない?と思う方もおられることでしょうが、ストーリー展開はいたってゆるやか。そのうえパリの社交界の精緻な人間観察や詩のような自然描写など、一行ごとに頭をたれたくなるくらいにすばらしいのです。
太宰好きの方が時々推奨している短編に「親友交歓」というのがあります。これは、津軽に家族と帰ったときに、昔の友人を自称する記憶にない男がたずねてきたことから始まります。その男は乱暴で、「酒を出せ」「奥さんに酌をさせろ」とさんざんな要求を言い散らします。太宰とおぼしき主人公は、よくわからない男の要求にへらへらと応じ続けました。気を悪くするどころか、いたって愛想が良いのです。ようやくお帰り願えることになり、玄関で見送る主人公に男は耳もとでささやきました。「えばるな」と。これがオチです。たしかに対等に見ていないからこそ、怒らないという心理はあるのでしょうね。とにかくぶじに過ごしたい一心で。対等に見ているのなら「いつご一緒でしたかね」とか真摯に尋ねるのかもしれません。
これと似たようなことが「失われた時を求めて」の巻6に書いてありました。二人の貴族がいて、一人はニコニコとしていたって愛想の良い貴族。もう一人は、ぶっちょうづらがむきだしの貴族。この二人のうちどちらが悪人かと言えば、愛想の良いほうだという意味のことが書いてありました。真摯に自分の本音を表していないということでしょうか。たしかにニコニコとしているということは、心理という面から見ると防衛的という感じはしますね。ガードがぶ厚いというか。偉大な作家たちの人間観察には、頭が下がります。