心理学ニュース

15、境界性人格障害は、赤ん坊と同じ

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最近の定説によれば、共感性とは、乳児期までのごく早い時期に母親との適切なつながりの中で育つと言われています。臨界期は三歳という説すらあります。これは、とっぴな仮説ではなくて、私の手元においてある数種類の心理学の教科書に明記されています。それらによると胎児時代もおおいに関係があるらしいのです。やはり胎教は正しかったのです。それから境界性人格障害の原因についてはPTSDとなるようなできごととも関連しているといわれています。

外国の心理学者が境界性人格障害の人をじっくりと観察をして、ある発見をしました。「これは乳児と同じだ」と。たしかに彼らの多くは、赤子みたいに泣くときに声をあげて泣き放ちます。私もためしに声をあげて泣いてみたことがあります。しかし、悲しくて泣くという行為と声をたてるという行為は私の場合、スイッチがすでに分化済みみたいで、泣き声をあげてみると悲しいという感情の流露が水をさされたみたいにストップしました。

カウンセリングをしていると声をあげて泣いていた彼らが、やがて回復とともにハンカチで涙をそっとぬぐう大人の泣き方になっていきます。いずれにしろ泣くという行為は、すばらしいことです。涙とともにつらい思いがほんのちょっぴり過去へと流れ去っていきます。涙が過去へと押し流してくれるのです。だって泣いたあとってなんだかすっきりするでしょう。つらすぎる体験の直後に涙は流れないことが多いものです。体が氷りついてしまって。体がほんの少しだけ柔らかくなって、何かが溶けだすと涙が湧いてきます。

涙を流して泣くとすっきりする理由が科学的にわかっています。涙には、コルチゾールというストレス物質が含まれているので、それが涙とともに体から出て行きその結果、気分がすっきりするのだそうです。コルチゾールは、だ液にも含まれているので、おしゃべりややけ食いがストレス発散につながっているというのは理にかなっているといえます。

話は少しちがいますが、恐怖症でなんだかしらないけれど怖くてしかたがないという方のために、当面の恐怖への対応策として「こわい、こわい」と声を出して言う方法があります。寂しさについても同じです。このように言語化すると、とりあえず生まの感情から逃がれられる効果があります。

さて、悲しい時には、むしろ反対に思いきって楽しい歌を歌って心を癒やすのがよいと主張なさる方がいます。あるいは笑ったりとか。作り笑いでもいいから無理にでも笑うとよい効果が得られるという発想です。

心が重たく沈みこんでいる時に、意識して気持ちをアップさせるというのは、大変むずかしいことかもしれません。少なくとも悲しいできごとの生じた直後にはなかなかできることではありません。

ある程度時間が経過して悲しさに多少慣れてくると、悲しいできごとにうちのめされっぱなしではいけないという前向きの心がまえとともに、悲しさの解消法としてそういう心のあり方が可能なのではないのかと思います。一方で次のような考え方があります。悲しい時には、悲しい歌を思いっきり歌う。悲しい映画を見てポロポロと涙を流す。このほうが心に寄りそっている自然な流れの場合があります。どちらも試してみる価値がありそうです。

 

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