メールがトラブルのもとになることがよくあります。その原因を大まかに分けてみると、①メールには特有の作法がある。②メールに不慣れ。③メール自体が持っている性質のせいで陥りがちなこと。などに分けられるかと思います。
私もメールが苦手なほうです。ひとつにはおしゃべりの方が楽しいから。私にとってメールがもっとも良いと思われることは、相手の方もお忙しいでしょうから、電話のようにとつぜん大切な時間に闖入(ちんにゅう)して時間を奪ったり、奪われなくてすむ点ではないのかと思います。
メールのそういうメリットを知りましたので、このごろではけっこう利用しています。さらにメールは、電話のようにつかまらない時に気をもむ必要がないので、いったんメールを投げかけたら、後はしばらく待ちの姿勢でいればよいわけです。
若い方に叱られたことがあるのですが、それは私が返事を何度くらい往復すればよいのかわからなかったからです。メールが来たので、返事を返して、はい、終しまい!のつもりでいたら、お叱りを受けました。手紙なら、それで良いのですが。メールだと会話感覚なので、そうもいかないようですね。
なんでも若い方同士だと、メールでのやりとりがエンドレス近くになってしまうこともあるとか。これだと相手の方の忙しい時間帯に闖入しなくてすむ、というメールの長所が失われてしまいます。たしかにメールはあと引き豆のように、気持ちに区切りをつけるのが難しいようなところがあります。
時々切り口上のメールをくださる方がいます。意見などを言う時です。面と向かっている遠慮がちに言うとか、小さな声などといった要素でインパクトの強さが薄まったりするのですが、メールだと妙にストレートになってしまいます。
私たちは手紙では、会話をする時よりも多少遠慮がちに書いたりへり下ったり、気をつかって表現することを心がけることが多いようです。メールでもあの感覚を失わないことが大切ですね。その点絵文字は、挿入することによって、さまざまなニュアンスを表現できるので、メール世代の知恵だと思います。
今、述べたことと関わりがあるのですが、面と向かって言えないことがメールだと書けてしまうということはありませんか?メールのことはカウンセリングの相談でもよくあります。面と向かっていると言えないようなことを、メールだと書けるので言いにくいことをつい書いてしまう方がいらっしゃいます。これがトラブルのもとになります。
相手の方にメールで意見のようなことを言う場合、対面でも同じことを言えるのかどうかシミュレーションをしてからにしましょう。ジャーナリストの心得でも、批判をする場合は面と向かって言えるような範囲にとどめるべきだというものがあります。
同じように新聞記者などは批判があるのなら、その批判を直接相手にぶつけてみて、相手の方の反論も同時に載せるというやり方が日常的に行なわれています。さてふり返ってみてメールだと、なぜか知らないけれど、どんどん書けてしまうという方はいませんか。その場合は要注意です。
メール全盛の世の中です。たまには、メールではなく郵便を利用しましょう。念入りに選ばれたいかにも趣味豊かな絵葉書が届いたなら、奥床しくて引きだしの多い人物という印象を与えることでしょう。