《養育環境からくる不幸》不幸に慣れてしまう、というよりも不幸に育つということは、ある程度不幸がなじんだ環境で育つということでしょうね。幸(さち)薄そうな娘さんのけなげな姿を見て、胸にじんと来る方もいることでしょう。
《貧しさはたいしたことではない》不幸は貧しさだけではありません。いえ、むしろ親子の関係性からくる不幸に比べれば、金銭的な貧しさなど、もしも親ごさんのまっすぐな愛が子どもに注がれて育つならば、大したことでないとさえいえます。
《いざ幸せを手にすると》不幸な親子関係で育ち、幸福を味わったことがないと、幸せへの強烈なあこがれが芽吹きます。幸せになりたいという一念でがんばることでしょう。しかし、こういう方のなかには、幸せに安住したためしがないので、いざ幸せを手にするとなんとも居心地の悪さを感じる方がいます。せっかく幸せになったのに。
《幸せから降りる》そこでどういうことをするかというと、その幸せな境涯から降りるという選択をします。親切なパートナーに難癖をつけて、恋人関係や夫婦関係をこわしたりします。それから、この幸せがいつかこわれるに違いないという確信を持ち、その恐怖から前もって幸せをこわしておきます。
《幸せを求めて》それで、またもとのように幸せにあこがれている、あまり幸福でない状態になり、幸せになろうとがんばります。幸せになりたいとがんばっている状態が一番慣れてなじんだ状態なのでしょうね。これらの行動はすべて無自覚のうちになされます。