《親の介護義務》虐待的な親でも子どもの介護義務はあるのでしょうか?アダルト・チルドレンとして育った人は、自分の生きづらさの根源的な問題に気づくと、ふつう親と距離をとって暮らします。自分は変わっても親自身が変わることは期待できないからです。
《過去のつらすぎる思い》虐待的な親も年をとり、介護が必要になる時がきます。そういう時に仲のよい親子のようにいざ出動という感じで、親の介護に全力を傾けられないことが多いようです。過去のつらすぎる思いが全身にとげのようにささっているからです。
《介護関係者の批判》つらい思いを、押し殺して親元へ行くので、ふつうの子どもたちよりも訪問回数も少ないし、万全の介護というわけにいかないのです。そこへ医師やケア・マネージャー、介護士、民生委員、親類、近所の人たちが、正義の苦言を呈します。
《正義の苦言》「何か事情があるのでしょうが」などという前置きは、皆無です。ちくちく嫌みを言ったり、訓戒を垂れたりします。子どもも「虐待を受けたので」と、オープンにカミングアウトできません。育つ過程で、「これは秘密だ」というメッセージを受けとっているからです。
《好きで介護放棄しているのではない》これら介護関係者が事情を知らずに親の介護に尽力できない子どもを批判するのをやめていただければと思います。介護に直面するだけでもつらい思いをしているのに、なおのことつらくなります。たまに、高齢者を集めたアパートなどで暮らす施設で火事があり、犠牲者が出たりします。そういう時に、遺体の引き取りを拒否する関係者がいます。
《以前は冷たいと感じた》当サイト運営者も、「関係者が遺体の引き取りを拒否した」などという記事を読むと、以前は、なんて冷たい身内なんだろうと思っていました。しかし、今は、違います。「きっと事情があるのだろう、引き取れない事情が」と考えるようになりました。