《ドストエフスキーの言葉》「恐怖は憎悪を消す」これは、ドスドエフスキーの小説『悪霊』のなかにあった言葉だと思います。ドストエフスキーは、ロシアの帝政時代にビラを作ったり、まいたりするという多少政治的な活動をしたことがあります。
《1人は発狂、1人は白髪》それでつかまってしまい、驚いたことに死刑の判決を受けました。今日処刑されるというそのとき、初回の三人がくいにつながれました。ドストエフスキーの順番はまだでした。ところがその時、早馬が駆けつけてきて、皇帝の恩赦が出たという知らせが届いたのです。
《パフォーマンスだった》ところがこれがこらしめのための筋書きのできたパフォーマンスで、あわやというときに馬が駆けつけるストーリーになっていたようです。ところでくいにつながれた三人はもちろんのこと解き放たれたのですが、一人はごく短い時間のうちに真っ白な白髪になり、そしてもう一人は発狂していたという悲惨な結果になったそうです。
《体験から》公権力によって、自己の生存が許されない死刑というものの恐怖が伝わってきます。タイトルの「恐怖は憎悪をかき消す」という言葉は、ドストエフスキーの体験からきた実感なのでしょう。ところで、このタイトルがそのまま当てはまる女性がいました。
《セクハラを受けたと信じ込み》ある女性が職業訓練校で、セクハラを受けたと信じていました。どこかで共依存的だったので、彼女は、彼を誘いました。ところが拒否されたのです。その結果、怒りがその教師に向かいました。彼の落ち度といつたら、彼女の主観的なものしかありませんでした。もちろんのこと自分の怒りと拒否されたこととの因果関係は、無意識のうちに拒絶しています。
《くる日もくる日も》くる日もくる日も、彼を追い落とすために、あちらこちらへと訴えました。それはもう毎日というほどで…。当サイト運営者だけでなく、友人たちにもしじゅう訴えていたのでしょうね。だれかが「彼に殺されるんじゃないの」ということを伝えたようです。
《そそくさとしまい込む》その瞬間、彼女の復讐心はピタリとおさまりました。彼女は復讐心を折りたたみ、そそくさとどこかへしまい込んでしまいました。ドストエフスキーの言葉「恐怖は憎悪を消す」という例に当てはまるケースなのではないでしょうか。