心理学ニュース

150、私がカウンセラーになったわけ

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《激烈な体験が》当サイト運営者は、若いころからカウンセラー志願だったわけではなく、かなりいい年になってから、カウンセラーになろうと思い立ちました。そこには、激烈な体験があったからです。前期中年期から後期中年期(?)に移ろうとするころある方との出会いがありました。

《評伝のネタ探し》私は、当時連載の評伝を書いていて、つねに、まあ、ネタを探していたわけです。そんな時に、家族から性的虐待を受けて育った方と知り合いになりました。その方は社長として、がんばっていた時期もあり、起伏に富んだ人生で、素材としてふさわしい方と思いました。考えてみれば、その時からその方に魅了され、かつ支配されていたのですね。

《体当たり》その方は、札幌在住なので、自費で彼の地に飛び、一週間取材をしました。それから、電話取材で補足して、連載はなんとかやり終えました。それから、なんとか単行本として出版を目ざし、体当たりで出版元にあたりました。

《ふり回されっぱなし》その間です。私は、その方にもうれつにふり回されっぱなしで、疲れまくりました。彼女は、私を苦しめるだけのために、嘘もつくことがわかりました。いろいろな方に相談したらジュディス・ハーマン著『心的外傷と回復』をすすめられ、一読して彼女のすさまじい性格が虐待によって作られたことがわかり、驚倒しました。

《本人の素質論》それまでの、漠然とした知識では、こうした特異な性格は、本人の素質によると世間的には思われていたと思います。私も、ばくぜんとそう考えていました。それでいろいろな本によると、自助グループがよいとされていました。

《自助グループの立ち上げ》それで、無謀にも自助グループをたちあげたのです。彼女ほどさんざんな目にはあってはいないけど、まあ、ひどい親のもとで育った方たちがいらっしゃいました。そこでの、私のファシリテーターぶりは、たぶんよくなかったと思います。

《NPO法人につながる》傾聴の大切さを知らず、アドバイスしまくっていたと思います。カウンセラーの資格が必要と自分でも思い、他の人からも言われ、そこでカウンセラーを目ざしました。遅い出発ではありましたが、斉藤学先生のNPO法人につながり、ボランティアの傾聴者として、現場体験をつみました。仲間の患者さんたちとも親しくなり、たくさんのことを教わりました。

《人生の奥深さを知る》そこから、今に至り、人生の奥深さ、人間の奥深さを知り、今も、真剣にクライアントさんと関わっております。たぶん境界性人格障害と思われる、前記の女性と斉藤学先生が、ある意味私の、人生のナビゲーターと思っています。遅すぎるくらいの出発でしたが、もうやめよう、あきらめようと思ったことは一度もありません。

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