心理学ニュース

128 、不条理文学の源流はカフカの統合失調症的な気分から

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《カフカが源流》フランツ・カフカを不条理小説の源流とみて、さしつかえないようです。『変身』に見られる、ある日突然我が身におきるとてつもない不条理。家族の無理解と無機質な世界。ほかの作品に見られる話がようとして進まない感じなど、21世紀の文学界をゆるがした不条理小説の源流は、カフカが抱いていた統合失調症的な気分にあるのではないのかと思います。

《異邦人》カフカに続く不条理小説の巨魁(かい)は、カミユ。「今日ママンが死んだ」という印象的なフレーズで始まる『異邦人』は、なんだか知らないけれど、とつぜん狂気に支配されたように、人をピストルで打ってしまい、砂漠で斬首されるのだという、裁判の判決で小説は終わる。カミユの不条理は、カフカの異様な世界に比べるともう少し精神的に健康な領域にいる人による創作といえます。それにしても、カミユの短編小説は、天才的ですね。

《砂の女》日本の不条理小説といえば、安部公房の『砂の女』。これは、主人公が砂にまみれた部落からどれほど抗(あらが)っても、抜けだすことができず、最後には、そこにとどまることに奇妙な安堵感すら見出すという筋立て。安部公房の小説は、カフカのような得体の知れない不安に比べてみると、作家の個性もあって乾いた雰囲気があります。

《短編小説にはオチ》ここで小説について少し書きますと、短編小説と長編小説の違いに次のようなものがあります。長編小説には、オチは必要ないけれど、短編小説にはオチ、つまり落語で言うところのサゲが必要といわれています。短編小説は、全体が最後のオチを念頭において伏線などがはられていきます。

《不条理の残滓》ヨーロッパでは、この不条理の伝統は、日本よりも比較的濃く長くただよっていたようです。私にとって、比較的最近見たヨーロッパ映画とフランス映画にこの不条理の名残りを見たとき「まだやっていたんだ」と感じました。ひとつは安部公房の原作のものでした。

《氾濫した不条理》これほど不条理が氾濫したのですから、亜流のエピゴーネン(追随者)も生まれてきます。その例としてミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』をあげたいと思います。

《亜流のエピゴーネン》映画の中で主役のモニカ・ヴィッテがとつぜんおかしくなるシーンなど、不条理に内的必然性を伴わず、わざと風変わりにしてやろうという作為すら感じてしまいました。不条理文学は、カフカ的なものから遠く離れてしまったんだなあと感慨がわきました。

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